宮沢賢治のアイスクリーム | 日々のダダ漏れ

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グレーテルのかまど (アンコール放送)
宮沢賢治のアイスクリーム



冷たくて甘く、とろける味わい、アイスクリーム。

自らの詩に、「天上のアイスクリーム」と書き記
した作家がいることをご存じでしょうか。
今なお、多くの人に愛読される、作家で詩人の
宮沢賢治。彼が、生前に発表した詩集「春と修
羅」に
おさめられた、「永訣の朝」。
そこに、天上のアイスクリーム
は登場します。
一体それはどのようなもので、
賢治のどんな思
いが込められていたのでしょうか?

**********



明治の終わりから昭和の初め、宮沢賢治が紡
いだ、
物語
や詩の数々。代表作「銀河鉄道の夜」をはじめ、
作品には、生まれ育った
岩手県の自然に根ざした、
独特の世界観が貫かれています。



銀河鉄道の夜では、主人公のジョバンニが、親友
カンパネルラと列車に乗り、次々と不思議な体
をします。しかし最後に
待っていたのは、親友カン
パネルラの死でした。
語に染み渡る、静かな悲
しみ。それは、賢治自身
の心に焼き付いた、深い
悲しみが、関係しているとい
ています。

賢治が銀河鉄道の夜の執筆にかかる2年前、最愛の
妹トシが
結核に倒れ、24歳の若さで亡くなったのです。



トシは、賢治の2
つ年下の妹。賢治の唯一の理解者で
あり、同志ともいうべき
存在でした。そのトシを失う悲し
みを詠んだ詩が、「永訣の朝」。



幾度も登場する、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
とは、
雨雪
を取ってきてください」という、病床のトシの言葉
です。賢治は、
トシのために、雨雪を取りに駆け出し
ます。そして、その雨雪が
姿を変え、天上のアイスク
リームとなってほしいと詠まれて
いるのです。


おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが 天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに 
聖い資糧(かて)をもたらすやうに
わたくしのすべての さいはひをかけてねがふ

**********

明治29年、宮沢賢治は、岩手県花巻市で質屋を
営む
家に生まれました。
東北の厳しい自然の中で作物を
作る、貧しい農民達に心を寄せていた
賢治。彼らから
お金をもらう、質屋という家業がどうしても
好きになれ
ず、
父と対立することが多かったといいます。



そんな賢治のことを、唯一理解し、味方となったの
が、
トシでした。トシが、東京の女子大に通っていた頃、
やり
取りした手紙が残っています。

<手紙>
お手紙拝見しました。 (中略)
私もまあ、大抵学校を出てからの仕事の見当も
つきました。これから 私の学校の如何に係らず 
決して心配されるようなことはありません
   大正6年1月16日 賢治からトシへの手紙

無責任な理想を孟子あぐるならバ
兄上様ご自身の天職と
一家の方針とが一致することが
何よりも望まれ候
   大正7年11月24日 トシから賢治への手紙

互いに、悩みや将来の事を、何でも話せる同志
のよう
な存在でした。
ところが、女子大を卒業する目前、トシ
は病に倒れます。結核でした。
賢治はすぐさま上京。
その病状を岩手の父に報告しました。

<拝啓> 
(中略)
昨夜は体温も三十八度二分
食欲なく渇き甚しき様には
御座候へども・・・

下がらない熱。妹の回復を願い、食べさせたのが、

医師より許可を得て
(蓋(むし)ろ重湯の代りとして)
アイスクリームを食し候
   大正8年1月6日 賢治から父への手紙

そう、アイスクリームだったのです。



賢治とトシが生きた大正時代。
牛乳と卵を使った
アイスクリームは、病気を吹き飛ば
してくれる、
養のある特別なスイーツでした。

子供が病気になると、親が炎天下に魔法瓶をぶら
さげ、
何時間もかけて、アイスクリームを買い求めた時代。
賢治もその一人だったのでしょう。

手紙には、こうも書かれています。

牛乳・卵、塩等は差し入れ、氷及び器機は
病院の品を用い・・・
これを作り、今後も毎日之を取るべき候

トシのために、病院で氷と機械を借り、
材料を何とか
集めて、アイスクリームを作ったの
です。兄・賢治の
思いのこもったアイスクリームは、
どんな味がしたの
でしょうか?

**********

文豪たちはアイスクリームがお好き?



時は明治のはじめ。日本に初めてアイスクリンなる
もの
が登場。当時の値段は二分。なななななんと、
工場で
働く女工さんたちの給料、半月分でした。
その後、一流ホテルや、セレブな人たちが集まる洋
食店、
カフェなどにも登場。超高級品のアイスクリー
ムは、みーんな
の憧れでした。

そんなアイスクリームは、明治の文豪たちの作品
にも
たくさん出てくるんです。



一匙のアイスクリームや蘇る

若くして病に臥し、晩年のほとんどを病床で過ごした
正岡子規の詠んだ句。蘇るという言葉に、アイスクリ
ームが持つ、なーんとも不思議な力を感じますね。

さらに、夏目漱石の代表作「こころ」の中に登場した
のは、ホームメイドアイスクリーム。

奥さんは 下女を呼んで食卓を片附けさせた後へ
改めてアイスクリームと氷菓子を運ばせた
これは宅で拵えたのよ (夏目漱石「こころ」より)

漱石は、なんと、自宅の裏庭に業務用のアイスクリ
ーム製造機があったほどの、アイスクリーム好きだ
ったそうなんです。アイスクリームは、文豪たちの
舌と心も蕩けさせて
いたんですね。


**********

大正8年、賢治が必至で看病した甲斐あって、トシは回復。
その後岩手に戻り、花巻の女学校の
教員として働きました。
しかし、1年とたたずに、
再び病床についてしまったのです。
当時東京で
暮らしていた賢治。
「トシビョウキ スグ カヘレ」
という電報を見て、すぐさま帰
郷しました。必死の
看病を続けた賢治。トシのために、夏
の暑い中、
アイスクリームを何度も買いに走ったといいま
す。
しかし、およそ1年3カ月後、トシは帰らぬ人となってし
まうのです。
その日のことを詠んだ詩が、永訣の朝でした。


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛(そうえん)いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりとした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・
・・・ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系(にさうけい)をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪ができたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのことばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ



**********

後に賢治は、この「天上のアイスクリーム」という言葉
を、
「兜率(とそつ)の天の食(じき)」と書き換えます。

※ 兜率天 仏教で弥勒菩薩が在する場所

兜率天とは、仏教の言葉。賢治が、トシの転生する先と
して、願った世界と考えれています。

病床のトシに、幾度も食べさせたアイスクリーム。
賢治はそこに、並々ならぬ思いを込めていたのです。

**********

「永訣の朝」の中に、こんなトシの言葉があります。

うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのことばかりで
くるしまなあよにうまれてくる


 またひとにうまれてくるときは
 こんなに自分のことばかりで
 くるしまないようにうまれてきます


自分のことではなく、人の為に苦しむ人でありたい、そ
う願っていたトシ。トシを失った後、賢治は、思いを受け
継ぐかのように人々のために力を尽くすようになります。


農家の人々のため、無償で勉強会を開き、
肥料のこと、作物のことなどの相談に乗りました。


その後も、新しい肥料の開発や、営業販売に奔走した
賢治。しかし、無理がたたり、肺炎で倒れてしまいます。
当時の賢治の手帳に、
その日のメモが残されていました。



使ったお金の記録の中に、アイスクリームの文字。
高熱で苦しむ賢治は、どんな思いでアイスクリーム
食べたのでしょうか。

その2年後、賢治は37歳の若さで、世を去ります。
死ぬ前日も、
夜遅くまで、農民たちの肥料の相談
を受けていたといいます。

トシの分まで、人のために生きようとした宮沢賢治。
アイスクリームは、愛する亡き妹との繋がりを思い
出させる、せつ
なく、特別なスイーツだったのです。




**********

宮沢賢治は、同じ東北出身ということで、高校生の頃
から心を寄せていた作家さんでした。童話も詩も好き
で。何より、賢治の生き方に感銘を受けたものでした。
多感な時期に、賢治について友達と語り合った時間
が懐かしく、どこか切なくなってしまう青春の思い出。

久々に、「永訣の朝」の朗読を聞いて、胸がしめつけ
られる感情がよみがえり、人のために生きたいと願
った兄妹の思いに共感した日々が、もう随分と遠い
日になっていたことに、いつのまにかそういう想いを
忘れて生きてきてしまった自分が少し寂しくなって。

私は、やはり「兜率の天の食」よりも、「天上のアイス
クリーム」という表現のほうが好きです。トシも、天の
食よりも、兄が作ってくれた、持ってきてくれた、天上
のアイスクリーム(だと思う)のほうが嬉しかったので
はないかと思うのです。天上のアイスクリームという
言葉に、どれだけの想いが愛情が込められているか。

たぶん、昔読んだときは、「兜率の天の食」だったの
でしょう。「天上のアイスクリーム」という言葉があっ
たなら、心に残らないはずがないと思うので・・・。
今は、どちらの表記で本に載っているのか、両方の
表記がされているのかはわかりませんが、願わくば、
「天上のアイスクリーム」という表現が、広く知られて
ほしいと・・・少なくとも併記してほしいと・・・願います。


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