私は今、日に2つ以上の仕事や予定が入っていることが多い。




そんな中、たまに半日だけの仕事の日があったりする。



すると残りの半日は、一見フリーに見える。



しかし実はその時間を使って、次の仕事の準備をしたり、声楽やピアノの練習をしたり、作り置きのおかずを作ったり、掃除をしたり、来客があったりする。




どれも必要なことだったり、やりたいことだったりするけれど、



しかし「そのタイミングで」やりたいことばかりではない。




・「好きなタイミングで、やりたくてやる」のは、快楽。

「しなければならない」でやるのは、労働。




つまり、実際の仕事に行くということのみならず、私は空き時間もずっと労働していたのだ。




「睡眠」「体を休める」ということさえ、自分のタイミングではなく、空き時間に押し込めていた。これでは休まるわけがない。





・完全オフの日が、週2日ほしい!





思わず飛び出た。




そりゃそうだ。月に2回はオフの日があると思っていたけど、結局ずっと労働してたんだから。



・でも、今の収入は下げたくない!




いま私の体に刻まれてるのは、100%「労働しない=お金にならない」という図式。




現に、この4日間の予定がキャンセルになったことで、その分リアルに収入が消えたのである。




正社員であれば有給休暇などがあるけれど、私の掛け持ち仕事は、働かなければ当たり前にゼロなのだ。




ここで、ふと思う。





・物販って、いいな…





え?物販??




物販なんて、一回も考えたことなかったやん。

物販している自分を、想像することさえ出来ない。




でも、実際に私が労働していてもいなくても、オンラインショップって24時間稼働してくれるんだもんな…





そこでハッとする。




それって「自分ビジネス」なのだ。





ある時期まで、八木さやちゃんにかなり傾倒していた私は、その憧れから「自分ビジネス」というものを一段上に見ていて、いつか自分も出来たら…とフワフワ夢見ていた。




しかし色々とあって、そんな自分に嫌気がさし、もう誰の教えも指図もコンサルも要らん! 自分のことは自分で決めないでどうする!と、ある時目が覚めた。




自分ビジネスも、もう出来なくていい、現状、今いくつかの職場で、私は必要とされ、ソツなく働けている。



私には飛び抜けた才能は無さそうだけれど、あちこちで そこそこ適応できてる。

それはそれで素晴らしいことじゃないか。



社会は、自分ビジネスする人ばかりでは成り立たない!体制の中で働ける人材だって必要なんだ!



と、初めて自分で自分を認めることができた。




これは負け惜しみのようでいて、やっと初めて本当に自分のことを許せた?降参した?つまり、受け入れたのである。




自分、まぁまぁやるやん

よくやってるやん

こんなんできる人、なかなかいないよ。

偉いよ。




そして、自分が与えられるものはすべて与えていくと決めたのだ。




私は心底納得して、今のハードスケジュールに突入したのである。






つづく






pikarin