久々のUPです。
長文です。
術後2年が経過しました。
実は、12月ですでに2年だったのですが、
なんせ昨年の6月を最後に全身のCTを撮っていなかったので、
私的には1年半で止まっていた感覚でした。
この2年間の経過観察中、本当にいろいろ疑惑があって
精神的にキツイ時期もたくさんありました。
かなり落ち込んでしまった時期もありました。
同時にこの病気の本当の意味での「闘病」についても目の当りにし、
たかだか自分のレベルで辛いなんて言ってはいけない気がして、
なんとなくブログから遠ざかってしまったかもしれません。
まずは、腫瘍マーカーの上昇。Ca19-9が100!
次に、腹腔内の謎の嚢胞出現。
それも、手術後半年とかはなかったのに。
5㎝はある嚢胞でした。(←卵巣脳腫でした。)
そして、留めは、
昨年6月、CTにて複数のミリ単位の結節を肺に確認。
CTは極力撮りたくない大御所先生が、緊急でPETの予約を
入れているのを見た時は、本気で覚悟しました。
私は静脈管の侵襲疑惑もあったので、肺への血行転移は
十分にあり得る話でした。
特に、この「両肺に複数」というあたりが、
いかにも原発巣じゃなく転移の典型パターンでした。
で、PETではシロ。
更に9月で撮ったCT(肺のみ)で、縮小、消失したので炎症だろうと
いう話に落ち着きました。
もともと気管支が弱い事もあり、近所の呼吸器内科に通っている
ベースがあったので、その先生のところに一応資料として
そのCT画像を持って行くと、
今度は、複数の結節とは別に、
単発の極小のすりガラス様陰影を指摘されました。
悪性度は比較的低いと言われている原発肺がんの
リスクが捨てきれないので、経過観察をした方がいいと言われました。
もう、この頃になると、
はいはい、原発初期ですね~っ、胸腔鏡手術ね~っ。
余裕っす!とヘラヘラしていました。
前回のPETの時がかなり厳しかったので。
それにしても、なんでこのタイミングで肺に炎症所見なんて。。。
実はその数か月前に気管支炎を放置して、肺炎一歩手間くらいまで
悪化させてしまったので、言われてみれば心当たりはありました。
ちなみにCa19-9はずっと高いまま、50をキープしています。
もうずっと(多分術前から)50なので、これは生まれつき50でしょうと
いう事になりました。
肝臓、膵臓がんのマーカーなので、この部分のMRIも内科で撮りました。
上記でCa19-9が100となったのは、人間ドックで別の医療機関で
計測してしまったためみたいです。
こうやって書いてみると、結構サラッと流れますが、
本当に薄氷を踏む思いでここまで来ました。
大きな手術が必要になるくらいの浸潤癌があった事よりも、
術後補助の抗がん剤が必要であった事の方が
大きなダメージでした。
手術で取り切れなかったかもしれないと示唆された
という事ですよね。
長くなりましたが、2年経過時のCT、
検診所見では問題は見られないという事でした。
術後は、2年を無事経過した方々が本当に眩しく見えました。
原千晶さんが、何年経ってもこの病気との精神的な
対峙が続くとおっしゃっていていたのだけど、
正直、あの頃はピンとこなかったです。
でも、自分も2年経過してみると、
実感としてその気持ちがわかります。
いつまで経っても、不安感、恐怖感があります。
それでも、最近は、タロットカードをブラッシュアップしながら
少しずつ、子供達が自分の手から離れた後の未来も意識し、
生活しています。
未来で幸せで、充実している自分をイメージする。
人生のいかなる場面でも、このメンタルトレーニングは
必要なんだと思います。
ここには、書ききれないいろいろな思いがあります。
次は3年後に向けて、頑張ります!
皆さんと共に、明るい未来を進んでいきたいです。