腫瘍マーカー上昇、予約外診察 | 一瞬の光、だから輝く

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キラキラのカケラを探す旅・・・そして時々キャンプ

昨日は都民の日。

子供達と朝から晩まで出かけ、ポストを覗くと人間ドックからの結果通知が。


今まで、異常が指摘されなかった事がなかった人間ドック。

昨年は子宮頚がんが発覚した。


そして、今回は。


CA19-9 異常高値 94 (正常は37以下)


これは、かなりまずいかも。

素人目にみても、これは結構高いと思う。。。


丁度、まだ食事を済ませていない夫が帰宅。

さすがに食事を作る気力もなく、結果を伝える。


しばし、沈黙の二人。

泣くことも、騒ぐ事もなく。

でも、ため息が沢山出た。


さすがに私も覚悟を決めた。

なるようにしかならない。進むしかない。

凹む時間はない。


夏の終わりにやっぱり欲しいからと

プール用の日除けラッシュガードのパーカーを買った。

来年の夏も着て泳ぐんだって願かけて。

あのラッシュガード、来年の夏も着れるのかな?

いろいろな事が頭をよぎった。



正直私よりもノックアウトされやすい夫。


「私は大丈夫。進むしかない。すぐに結果はわからない。

経過を見て、CTを見て。CTにすぐに写るとは限らない。

精神的にきついけど、数カ月単位で、気持ちを強く持って

いかないといけなくなるかも。


だから私は私の立ち位置で頑張る。

貴方は貴方の立ち位置で頑張って欲しい。」


幸い翌日は主治医であるA教授が診察に入っている日。


実家に娘を預ける手配をし、朝一で病院に駆け込み、

予約外であるけど、なんとか診察して欲しいと婦人科受付に掛け合う。


A先生の診察を受けるのは5カ月ぶり。

腫瘍マーカーは6カ月くらい受けてない計算になる。



予約外にも関わらず、30分足らずで呼ばれる。


これこれしかじかと経緯を伝える。

CEA,SCCは変化がない事など。


「そうですね。

このCA19-9はですね。何かの具合でピュッと上がったりする

マーカーですからね。

これくらいですと、あるんですよ。

だいたい、この癌の経緯でマーカーが反映されるとなると

結構進んでからなんですね。」


全く怯まず。顔色ひとつ変わらず。

肝がすわるってこういう事を言うんだな。


「そうですか。私なんかもう目の前が真っ暗になってしまいまして。」


「目の前が真っ暗になる検査なんてしちゃだめですよ(多分、冗談、この状況で?)

とは言え、2週間空いてるし、すぐに結果が出せるからまずは

本日の数値を測定しましょう。」


「先生、私、実はドックでGTPの数値もちょっと指摘されました。

肝臓の状態が影響する事も考えられますか?」

(前日のネット検索で、肝臓の状態がCA19-9の要因になる事ありとの

記載があったため。)


「どうでしょうね。肝臓の検査もしてみましょう。」



そして採血。待つ事きっちり1時間。


まずは内診に呼ばれる。内診に呼ばれたという事は

もう結果が出たという事。


触診、細胞診、そして、直腸診。


経過観察で直腸診って毎回するの?

数値が悪かったのかな。。。



そして、もう一度待合室。ほどなく名前が呼ばれる。



「ぴかこさんね。

CA19-9ですけどね。今回は42でした。

まだ若干37より高いですが、これくらいの高値は問題ありません。

SCC、CEA、Ca125も低い値が出ていて変動ありませんし。


何より、癌を反映しているのであれば、

2週間で94から42まで急激に下がる事は考えずらいです。


恐らく今回の上昇は癌とは関係がない要因だと思います。

恐らく大丈夫です。


42という数値はまだ基準値を超えてますが、これについては

今後の推移を見守る事が大切になります。




ぴかこさんは、次回いつが検診でしたっけ?」


「11月の末です。」



「そうですか。今回細胞診もしましたし、それでは

もうCTも撮ってしまって、合わせて次回診てみましょう。


まあ、大丈夫ですよ。」



という訳で、少し早めにCTを撮ってもらえる事になった。



正直、口調は優しくて丁寧なんだけど、凄く迫力があってなんか怖いA先生。

血液検査の結果が出る前から、先生の中では

「癌はおそらく要因ではない」という結論だったのだと思う。

なんでだろう。長年の経験かな。

とんでもない臨床数を診てきたと思うし。


「大丈夫ですよ」は先生の口癖。

今日はもの凄く癒された一言になった。



という訳で、グレーの要素が加わっての経過観察となった。

もちろん94⇒42はいいのだと思うのだけど、

なんせ、ここ5カ月検査してないので、今までの推移がわからないだけに

不安がかなり残る。



会計の用紙を看護師さんに渡され、1階の会計に降りる。

その途端、涙がば~っと溢れてきてしまった。

ずっとずっと涙が止まらない。


実家で待っている母に、報告しないとと思うのだけど、

電話で話したら涙が止まらなくなりそうで、

しばらく会計の椅子で涙を止まるのを待っていた。


家の外でこんなに泣いたのは病気になってからはじめて。

というか、一人で泣いた記憶もそんなにない。


告知の時も、子宮全摘になった時も、大きい腫瘍が病理結果で発見された時も、

抗癌剤で吐気が止まらなかった時も、髪が抜けた時も一人で泣いた事

なんてなかった。



もちろん安堵感もあったのだけど、それだけではなくて、

この数カ月間ずっと涙もあまり見せずに、元気に前向きに

頑張ってきた糸がふっと切れてしまったような、そんな涙だった。


「この病気、怖い。5年後に笑顔でいるために後いくつの試練を

乗り越えないといけないの?長いよ。」



今まで強い気持ちでいられた一番の要因は、この6年間くらい

ずっと自分の身体の事で入院や5回にわたる開腹手術を経験してきたから。

自分の身体のせいで、いくつかの命を天に返してきたし、

だから告知された時も、「なんで?」じゃなくて、「またなの?」だった。

息子にも「また病院なの?」と悲しそうに言われた。



でも、もう病院は嫌。もう嫌。

200に届くんじゃないかというくらいの通院。同じ数の採血。

内診だって、100回はしてると思う。

もう、たくさん。逃げ込みたい、健康な身体の中へ。


でも、こんなに何年も病院に通ってきた私だけど、

多分、闘病って言葉はまだ知らない気がする。

私が立っているのは、多分まだ癌という病気の入門編。

だからこそ、やっぱり怖い。




母と夫はとりあえずほっとしたみたいだけど、私はなんだか

ショックで立ち直るのにちょっと時間がかかりそうです。


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