こんにちは、ぴぴです![]()
現実創造という言葉、なんだか大層に聞こえますがいろんな分野でいろんな形で伝えられてきたことだと思います。
「自分の在り方を選ぶことが現実を創っていく」
シンプルに、自分が心から思っていることが現実化する、でもいいのかなと思います。
今日はそんな現実創造について思うことを書いてみます◎
選ぶことへの罪悪感がなくなるとき
私は以前、自分が望むものを選ぶということに罪悪感がありました。
自分の心地よさのために外の人や物を選別するなんて『わがまま』で『傲慢なこと』だと感じていたんですね。
特にどうしても嫌いな人や苦手な人に関しては、他者をジャッジする行為に思え、5次元愛からかけ離れていないかと頭を悩ませました。
ですが、「選んで大丈夫」
そう思えるようになりました。
人間は有限であり、宇宙が完璧であるとわかったからです。
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私たち人間には、そもそも物理的現実のすべてを見ることができません。
肉体的な制限上、自分にとって重要なものだけが見えるようになっています。
つまり初めから私たちは見たいものを選んで見ているということです。
にもかかわらず、世界は今日も通常運転です。
自分に見えていない世界があっても、今のところ壊れていないようです(問題はたくさんありますが)
つまり、システム自体は完璧にバランスを取っていることになります。
なので究極、自分の重要度以外の零れ落ちた部分は宇宙に任せておけば大丈夫、なんですね。
さて、はじめから見たいものを見ていると書きましたが、その自覚はないはずです。
自分の世界を作る重要度の順位は、自分に対して影響力の大きい外部のもの(親など)によって無自覚のうちに作られたものがほとんどだから。
よって、この重要度順を自分の意思で書き換え、あとは宇宙を信じようというのが現実創造だといえると思います。
人間は有限で、宇宙は完璧である
変化が生まれたのは
五次元意識を理解する
→三次元意識に戻る
→自分の有限性とシステムの完全性を理解する
という流れが起きた後でした。
(理解という言葉には注意が必要ですが、あくまで現状私の中で腹落ちしているところまでの理解です)
人間だけでなく動物も植物もこの世の生きとし生けるものすべてに同等の価値があり、すべてはつながっています。
ですが3次元的な肉体は有限で矛盾だらけです。
肉体と自我という限界を持った人間が、5次元愛をそのまま実行することは不可能です。
ここでやることは肉体の概念を捨てて5次元世界に飛び立つことでも、3次元に文句を言いまくることでもありません。
5次元愛に近づくために3次元でできる有意義であると思うもの(自分が心からやりたいこと)を選ぶ必要が出てきます。
この時当然零れ落ちるものが出てきますが、システム(宇宙)を信じ切れていれば、その部分を委ねることができます。
おそらく完璧主義の女性レイは、全てのことに責任を感じてしまう方が多いかと思いますが、その必要はないということです。
3次元で完全な5次元愛を物理的に体現する必要はなく(というか無理)、自分はこの肉体で出来る限りのことをすればいい。
あとのことはこの完璧なシステムを信頼すればいい。
そういうことになります。
人間のまま、全て自分で選んでいい、あとは宇宙が何とかしてくれる
つまり嫌いな人がいていいし
許せない考え方があっていいし
できないことがあってもいい
全然人間らしくて、不完全でいい。
でもそれに執着する必要はありません。
必要なものを選ぶのと同時に、必要のないものは選ばなくていいんです。
”私”が存在する前から宇宙はすでにあって、そして”私”も他のすべての生きとし生けるものも、その宇宙そのものです。
だから人間のまま、自分のままそれをして大丈夫。
大事なのは
あなたがあなたのまま自分に必要なものを選び(=不要なものは選ばず)、
あとのことはこのシステム(宇宙)の完全性を信頼して委ねられるか
だと思います。
宇宙はほんとうに完璧です。
選ぶということにも選ばないということにも罪悪感を持つ必要はないんですね。
5次元意識を目指しつつ、3次元の自分を思いきり楽しみましょう◎
今日も最後までお読みいただきありがとうございました°✧˖°
あなたのすべてがあなたの愛で満たされますように°˖✧˖°♡