「自分をえらんで生まれてきたよ」
 

読んだことありますか?
 

「体内記憶」という言葉をご存じでしょうか?

りお君は、体内記憶を持って生まれてきています。

その彼の言葉が、心に沁みるのです。



この本は、いんやくりお君の言葉を

 

りお君のお母さまがまとめたものです。

はじめに(母より)を抜粋します。

はじめにを読むと、

 

この本を読みくなりますよ(#^.^#)

理生は、歌と、犬と、だじゃれが大好きな、小学生の男の子です。

「心」について、おしゃべるすることも、大好きです。

この本は、理生が片言を話しはじめたころから九歳までのおしゃべりを、わたし(母)が書きとったものです。

理生の「お話」は、生まれる前のことや神さまのことなど、ふしぎがいっぱいです。そのおしゃべりを聞いていると、心ってイメージがあふれだす玉手箱なのかしら、と楽しくなります。

じつは、理生はちょっぴり個性的な心臓と肺をもって、この世に生まれました。これまで、入院は三〇回以上、のべ二年ちかくになります。

先日、心臓手術の前夜、理生は病院のベッドで、

「病院で寝ていると、ぼくは何がいちばんたいせつなのか、って考える。いのちのたいせつさって何か、考える。すると、幸せな気持ちになる。豊かな気持ちになる。だから、ぼくは病院で寝るの、好きだ。

病気で生まれててきたから、ぼくはいろいろな体験ができる。ママもいろいろな体験ができる。だから、ママは喜んでいいよ」

といって、にっこり笑いました。

壮絶な痛みを経験したり、不自由な暮らしをしたりする中で、理生は自分の「心のお話」を見つけたように思います。

人にはそれぞれ、たいせつな「心のお話」があるのでしょう。

「ぼくのいうことが、絶対に正しいというわけじゃない。心のことは、いろいろな人が、いろいろなことをいうからね。

信じることによって、ふしぎはおきる。だから、ふしぎを信じてね」

と、理生はのんびり語っています。

もしかしたら、「現実」って、にじのように何層にも重なっているのかもしれません。

そう想像すると、ふしぎな扉が開いて、この世の向こうから、さわやかな風が吹き込んでくるのを感じます。

 

風は、流れてこそ、風になります。

風が風として、みなさんの心を流れていきますように。