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お父さんを中皮種から守ってみせる

2012年7月。大好きなお父さんが悪性胸膜中皮種になる。お父さんを助けたい・・・

やっと、このブログを開くことができました。

大好きなお父さんは、昨年11月になくなりました。

10月12日、お父さんの最後の誕生日はみんなでお祝いしました。

けれど、このころかなり食欲はかなりおち、ねむっている時間がながくなっていました。

そして10月31日。いつもより、ちょっと元気で 昼御飯も久しぶりちょっと多めに食べ、なんだが今日は調子がいいかななんておもっていたら、食後二時間後、急にベッドから飛び起き、身体を震えがとまらなくなったので、訪問看護の人を呼びました。そして、すぐ救急車でがんセンターに運ばれました。直後、肺の穴から大出血。その時は一命を取り留めましたが、先生にはあと一日、二日と告げられました。
けれど、相変わらず意識のはっきりしていたお父さん。それがかわいそうで。しっかり会話ができたんです。だから、間もなくなくなってしまうなんて、信じられなかった。だって、今まで何度も危ない危ないって言われても乗り越えてきたから。

だから、あの日の夕方も、

じゃ、また明日朝くるね。朝また、ニッコリおはよって言ってね。

って私が言うと、帰るときもニッコリピースまでしてくれて。

妹と帰り道、

きっと、まだ大丈夫だよね

って話をしながら家に帰りました。

8時半、病院で付き添ってるお母さんに電話すると、

変わらないよ

って言うので、安心してお風呂へ。その直後、夫が

じいじが危ないって

と電話片手に私を呼びに。

え?5分前に大丈夫って言ってたのになんで?

子供三人と夫と私で急いで病院へ。30分の道のり。

病院入り口から病棟まで猛ダッシュ。

お母さんが

みちこが来たよ

っと大声で呼ぶと、最後に一度呼吸してくれました。私の到着を待って確認してなくなりました。

子供たち全員、

何度じいじと叫んだでしょう。長男は、過呼吸になり、隣のベッドで看護され。

それから、あれよあれよと言う間にお通夜、お葬式が終わりました。

このブログをずっと見るのが辛くて、開くことすらできなかったけれど、なぜかふと、久しぶりに開いて見たくなりました。自分のIDすら忘れちょっと苦労しましたが、これまでの記事を読み返し、やっぱり最後がんばったお父さんのこと、大事にしてくれた孫みんなに囲まれて旅だてたことをちゃんと記さなきゃと思い、久しぶりに書いてます。心配してくださっている方々に、きちんとお伝えもすべきですしね。ちょっと時間がかかりすぎでしたが。

あれから早三ヶ月。母は毎日かかさずお墓へ。私も週五回は言ってます。

今日は学校がおやすみで、久しぶりに子供たちもお墓に行きました!雪だるまを備えてお墓と写真をパチリ。お父さんが生きてるときも、お父さんを囲っていつも写真をとってたから、なんだか、お墓も嬉しそうに笑ってるみたいでした。

これからも、子供たちを見守ってね、お父さん。