「1週間、安静にしてください」
「はあ」
「止血剤、子宮収縮を抑える薬を出しておきます。毎食後に服用してください」
「……」
安静、か。結局、私は切迫流産なのか?そうじゃないのか?謎である。
切迫流産というのは、胎児は子宮内に残っているけれど、流産しかけている状態のことをいう。
“流産“とついているので、もう流産しているかのような印象を受けるがそうではない。あくまで流産しかけている状態である。
というか、安静ということは一週間も会社を休まないといけないということだろうか?
このタイミングで一週間の安静は痛すぎた。
今年、子どもが産まれるとしたら、来年は子どものケアのために有休を大量に消費することになる。
だからなるべく多く今年分を来年に持ち越したい。
今年はもう結構な日数の有休を消化済みだ。余裕はあって三日、というところである。
これから一週間も取れば、来年、有休が足りなくなる恐れがある。
なるべく私は仕事を休みたくないのだ。
「あの……」
「なんでしょう?」
相変わらず穏やかな声だ。感情を伺わせないというか。
全く何を考えているのかわからない先生である。
この程度のことはよくあるということだろうか?
「この時期の流産は染色体異常がほとんどなんですよね?」
「そうです」
だとしたら、だ。
私は口からでかかった言葉を一度、口の中に留めた。
あまりに辛辣で、えげつないと感じる人もいるかもしれないことを私は話そうとしていた。
それでも、言わずにはおられない、といった内容だ。
ここで誤魔化しても何もならない、と私は意を決した。
「……私は自力で生まれてくることもできないような命を薬で止めるなんてことはする気がありません」
偽らざる気持ちだった。生まれてくることもできないほど重篤な染色体異常を伴うというのに、その命を助けることになんの意味があるのか。
この世界は生きるだけで大変だ。
人間生活を送っているとつい忘れがちだが、生き続けるというのは大変なことなのだ。なんの異常もなかったとしても、他の個体と大きな差異なく生まれてきたとしても、それでも生き残っていくのは大変なのだ。
弱ければ自然界なら当然に淘汰されるし、人間の中にいてさえ、脆弱な個体は差別され、排斥される。
私は何度死のうと思ったかわからない。
その度に、まだこの手足が動くうちは、と生き続けることを選択してきたのだ。
生まれてこれたら終わり、ではないのである。
生まれた後に、生き抜けるくらいに強くあれるかどうかが問題なのだ。
有休だって有限の資源だ。生まれてこれる子のために使う。
真っ赤になったパンツを見たとき、私は覚悟した。
自力で生まれてこれないほどに弱いのなら、それまでであることを。
だから、流産していたとしても、次を見据える腹づもりでいたのだ。
その結果、一生子どもを得ることができなかったとしても、それはそれだった。私という存在が、この人間社会の中でそういう役回りの個体だったというだけである。
望んでも子を授かれない人はいる。そういう事象が存在している以上、自分がそれに当たらない確証はどこにもない。
望まないことでも、自分の身に降りかかる時は降りかかるものなのだ。
「流産するほどの染色体異常がある場合は、薬でどうこうすることはできません」
先生の暗く低い声が響いた。
まあ、そうだろうな、とも思う。
おそらくだが、流産するレベルの染色体異常というのは、例えば心臓も作れないだとか、細胞分裂しても正常に分化できないような、本当にどうにもならないレベルなのではないかと思っていた。
「だったら安静にする意味ってなんですか?」
問題がないのなら放置しておいても妊娠継続するはずだ。
助けられないことがわかっているのに、これから子どもを育てていくのに必要な有休を使うのか。
「本当に異常があって流産する場合は、安静にしようと薬を飲もうと流産します。それはどうにもできないことです」
だったら、なぜ?
一応大事をとって、ということだろうか。
「出血したからといって流産とは限りませんし、いきなり流産する人もいます。出血した場合、これしかやれることがない、というが現状です。それで何もない場合もあるし、流れることもあります」
つまりよくわからない、ということだろうか。だから、大事をとって安静。
なんともふわっとした判断基準である。
染色体異常を伴う流産は約7割。それ以外の流産は安静にしていたら救えたかもしれない、ということか。
「もし、ダウン症等の染色体異常が気になるのでしたら、もう少し週数が進めば検査することはできます」
出生前診断のことか。それくらいのことは知っている。
けれども、気にしているのはそこじゃないのだ。
なるほど、意を決して言った割に私が言いたかったことは伝わらなかったらしい。障害の有無を気にしているのとは少し違うのである。
まあ、そう聞こえても仕方がないし、実際どう違うの?と思う人もいるだろうが。
染色体異常の有無を気にする人は優生思想の持ち主だ、と考えがちな現在では、私の言っていることがどういうことか伝わらないのは織り込み済みだった。
私は別に“綺麗な”とか、いわゆる“優れている”赤ちゃんが欲しい、と思っているわけではない。
けれど、この手の話をするとすぐに優生思想だとか差別だとか言って攻撃してくる人がいるのだ。命の選別、などと言い始めたらもう最悪である。
だから言いたくない、言いづらい、というのもあったのだが。
そういうことじゃないんですけど、と言って説明しなおす気力はなかった。
こうなると、どうせ何を言っても伝わらないし、理解してもらうこと自体には何の意味もない。
私のことを優生思想の持ち主だと、この先生が判断したすることで、後々不利益を受けることがないか、面倒臭いことになりはしないか、それだけは心配だったが。
心なしか先生の声が不機嫌になったように感じたのも、その心配に拍車をかけた。
憂鬱だ。そして、疲れた。
「わかりました。ありがとうございました」
すっかり気力を削ぎ落とされて、私は診察室を出た。
子宮収縮どめとしてダクチル錠、止血剤としてアドナ錠とトランサミン錠が処方された。
今回は保険適用内の診察だ。保険適用される診察は医科診療報酬点数表によって、処置ごとに金額が決められている。妊娠に対する診察自体は自費診療だが、妊娠により発生した疾病は保険適用になるのだ。
請求書の明細にはそれらの薬の情報提供料、薬の処方、超音波検査等の項目が並んでいた。
その中に膣洗浄という項目があった。さらに時間外対応加算も。
膣洗浄なんてやってもらった覚えはない。
時間外対応加算は、朝早かったからだろうか?ちゃんとこの病院の診療時間まで待って診察を受けているのだが。時間外対応の基準って何だろう。10時からが正規の時間だとか点数表に定められているのだろうか?
これ以上、病院との間に摩擦を起こしたくない私は何も言わずに料金を支払った。
病院に対する不信感がうっすらと残った。
診察を受けたら仕事に行くつもりだったが、安静と言われたことを考えると、昨日の今日で無理をするのは良くない気がした。
とりあえず、明日からどうするかは、これから決めよう。