前回の記事はこちらです。
ユメちゃんは小股でちょこちょこと歩く人だ。
少しずつ私がいる方に近づいてくる。
まだ私が立っていることには気が付いていない。けれど、彼女の職場の位置を考えれば、今私が立っている場所まで歩いてくるのは明白だ。
回れ右して逃げるのはおかしい。
逃げれば余計悪目立ちする、ならば。
「ユメちゃん、久しぶり」
私は腹を据えて自分から彼女に声をかけた。
「あ、けいちゃん。気がつかなかったよー。元気?」
少しだけ歩く速度を上げて私の方へユメちゃんが来た。
私も数歩、彼女のいる方へ歩みを進める。
「うん、最近寒いねー。年末は?実家帰った?」
まずは適当な世間話を。
それだけで終わるなら、それでいい。
「うん。コロナだし、長居はしなかったけど、一応、会いに行ったよー。相手の両親のところには。私の実家には行かなかったけど」
「そうなんだー」
「けいちゃんは行ったの?」
「うーん、うちも夫の実家だけ。私の実家はちょっと遠いし、流石にね」
「あー飛行機乗らなきゃだもんね。里帰り大変だよね」
それからしばし、コロナへの愚痴が続いた。
コロナのせいで遠い実家に帰りづらいのはみんな一緒である。
コロナに早く終息してほしい。
それは、今現在、世界中の人たちが、人種・国籍関係なく、共に強く抱いている願いに違いない。
つまり話題の中でも、もっとも問題が起きにくい、平和な話題である。
「コロナ少し落ち着いたら、またタイミング見てご飯食べに行きたいね」
このセリフをどちらが言ったのか覚えていない。
私だったか、ユメちゃんだったか。ともかく「またご飯行こう」というセリフは、会話の最後に出てくることが多いセリフだった。
だから、「あ、これで今回のやりとりは終わるかな、そうだよね、だって妊娠ってめっちゃ聞きにくい話題だもん!!」などと一瞬期待した。
ら、そうでもなかった。
「それで、年末どうだった?できたー?」
ユメちゃんの切り込みに一瞬たじろいだ。
「え、あー妊娠のこと?」
以外ないよね。年末にできるときたら、我々の間で共有しているトピックは一つしかない。
「うん。クリスマス前話してたじゃん?だから気になって」
そうです、種を蒔いたのは私です。
「私はねーダメだったよ。また今月だねぇ」
と彼女はなんでもないことのように言った。
自分の状況について先に申告してくるあたり、彼女らしい。
律儀なのだ。
だからこそ、私がこの場を逃げるために嘘をつくのはもってのほかである。こうなったら言うしかあるまい。
「私はね、できてたんだ」
心臓が脈打つ。目が飛び出そうだ。
それくらい緊張した。
「え、マジで?!そうなの?」
「うん。マジで。まだ病院で確かめたわけじゃないけど、検査薬は反応した」
「えーそっか。よかったね!おめでとー」
彼女はジャンプしそうな勢いで喜んだ。
実際、少し飛んでいたかもしれない。
「いつ頃病院行くの?」
「今週末には行こうかなって思ってる。病院に行ってみてもらわないと確定じゃないから」
「そっかーよかったね。おめでとうー」
あ、すごく普通にこの話題終わりそう。
だけど、このままで、本当に大丈夫?
別に私、そんな幸せじゃないし、まだ何もいいことなんか、起こってないよね、そうだよね。
私たちの状況はまだ、同じ。だから、お願いだから、攻撃しないで。
それに、別に、警戒して隠していたわけじゃないんだ。
種を蒔いておいて、自分から言わなかったのは、別にユメちゃんのことを警戒してたからじゃないんだ。
いろんなことが頭を駆け抜けた。そして
「だけど、確定じゃないから。これから流産する人も多いし、私も若いわけじゃないから、もしかしたら流れるかもしれないし。よくあることらしいんだよね。化学流産とか、言ったりもするけど。病院で確認した後ですら流れることはあるし。まだ、妊娠したって安心できる状態じゃなくて、だから安定期入るまでは言わないどこうかなって思って。だから、まだ誰にも言ってないんだ」
と言うようなことを止めどなくペラペラと口走った。
ユメちゃんは少し驚いていたように思う。
さらに、私の精神状態が尋常じゃないことに気がついたのか、
「あ、いや。ごめん。そんな聞き出そうとか、そう言うつもりじゃなかったんだけど。ただ、年末、話に出てたから聞いただけで」
「うん、それはわかってる」
私のせいです。
「私も初期に色々あるのは知ってるから。だから絶対言わないから、他の人には。私の口から言うことはないから、だから、安心して?」
「うん」
他の人に言うことはない、それを聞いて、やっと私は一息ついた。
そっか、言わないでいてくれるのか。なら、まだ少しの間、この問題は保留にできる。
ユメちゃんも普通に話してくれている。
傷ついたり、怒ったりは、表面上していなかった。
彼女は理性的だ。
「いや、うん。そうしてくれると、すごく助かる。私の方こそごめん。聞かれるのが嫌だとか、そういうわけじゃないんだ」
聞かれることそのものが問題なわけではない。
別に、後から流産してしまったとして、それが知れ渡ったとしても何も思わない。
違うのだ。ただ、自慢したようにとられて、妊娠したことを非難されるされるのが怖いだけなのだ。
不幸せである方が誰にも攻撃されずに済んで、楽だ。と心のどこかで私は思ってしまっている。
「うん、なんかごめんね。聞いちゃって。絶対言わないから」
「いや、うん。ごめん。ありがとう」
妙な空気を残しつつ、私たちは別れた。
当初の目的だった血圧計にたどり着いた。
深呼吸をした後、腕を検査機に入れる。
気怠さを感じながらボタンを押した。
ピピっという電子音と共に表示された血圧は上146、下127だった。