息子は13トリソミー症候群(パトウ症候群)
13番目の染色体が3本ある
染色体異常で生まれました。
産前の検査では一度も奇形や異常を
発見されることはなく外に出てきて
何か変だぞ?と発覚しました。
2024年現在支援学校の小学一年生
途中色々あって
完全寝たきりの人工呼吸器っ子。
そんな息子のこれまでを
記憶を呼び戻しながら
書いていこうと思います。
2017年6月9日金曜日
胎動が少ないことが心配で受診した病院で緊急帝王切開が決まり、私は手術室へ向かいました。
手術室(分娩室)は病院の2階。
階段を登って入室しました。
なんだか想像していたよりも普通の部屋でした。
こんなところで手術するんだ。ドアも普通だったし、部屋の中も普通の処置室って感じ…。
看護師「ぴかさん、それじゃあ服を脱いでください。ピアスも外してこれに入れてください。」
少し恥ずかしくて戸惑ったけど時間をかけて迷惑をかけても申し訳ないと、着ていたチュニックとスパッツを脱ぎ、3つほどつけていたピアスも外してビニールのチャック付きの袋に入れて看護師さんに渡しました。
それから両親や夫の職場に電話。
夫は仕事中で連絡がつかなかったので、これから手術する旨を伝言してもらいました。
手術着に着替えてから指示された手術台へ、台の上はとても冷たくて素肌にあたる部分は余計に冷たく感じました。
私の周りでは着々と手術の準備が始まり、看護師さんが先生に昇圧剤の準備について聞いていましたが、私は高血圧があったのでいらないだろうということになりました。
そして、いよいよ麻酔注射です。
真横を向いて背骨をぐっと押し出すように丸めます。
この時になって急に怖くなってきて不安が押し寄せてきました。
グッと針が刺されて麻酔液が注入されましたが、思ったよりも痛くなくてホッとしました。
麻酔が効いてきたのを確認して先生がお腹にメスを入れました。
そこからはあっという間でした。
先生「押すよー!赤ちゃん出てくるよ!」
お腹をグイッと押されるとあっさりと赤ちゃんは出てきました。
泣き声が聞こえない…。
ぼんやりと横目に赤ちゃんが連れて行かれた方を見ると、透明のコットと呼ばれるベッドに寝かせられたようで、こちらからははっきりと確認できません。バックバブルマスクでバギングして呼吸をさせているようです。
看護師長がどこかに電話をしています。
看護師長「先生!A病院、カンガルー号がなくてこちらに来れません!」
先生「B病院は⁉︎」
看護師長「はい、電話します!」
赤ちゃんはどこかの病院に行かなくてはいけないようで、慌ただしいやり取りが続きます。
私は切開したお腹の縫合をされながら、早くどうにかしてあげてほしいとヤキモキした気持ちでそのやり取りを聞いていました。
先生の縫合が遅く感じる…
早く赤ちゃんの元へ行きたい…早く、早く。
再び赤ちゃんの方を確認すると、細くて小さな腕が上がり、「にゃー」と本当に小さくてかすかですが泣き声が聞こえました。
生きてる…よかった。
搬送先も決まったようで看護師長自ら赤ちゃんにバギングを始めました。
看護師長「お母さん!赤ちゃん、名前決まってるの⁉︎」
私「きすけです。きすけ。」
看護師長「きすけくんね!きすけくん!がんばって!きすけくん!」
正直どうなるかわからなかったし、この時に名前を決めておいて良かった。名前を呼んであげられたから。
安心したのか出血し体温が下がった影響か、それとも恐ろしかったのか、私の体は意図せずガタガタと震え始めました。
その頃、夫も駆けつけて、そのまま赤ちゃんに付き添って行ってしまいました。
いまだに震えが止まらない、震えを止めようとすればするほど震えは増して、ガタガタと音を立てそうなくらい。
足にはエコノミー症候群を防ぐ靴下、体には保温用のアルミシートが巻かれました。
それでも私は自分に起きた出来事がまだ理解できずにいたのでした。
幸せな時間が一瞬にして吹っ飛んでいった。
脳からはアドレナリンが出ているのか頭に中はゴチャゴチャして、まともな思考ではなかったと思います。
だけど、どうか助かってほしいという思いはあったと思います。
その当時は不幸を感じるばかりだったけど、今になって思い出すと息子は頑張ってくれたなー。
あの時から始まったんだなと少しだけ誇らしくも感じます。
そしてここから先はしばらくネガティブな表現が続きます。
もしも苦手な方はサラリと読み流して下さい
誤字脱字を確認しているつもりなのですがなかなか眼球が追いつきません。
読みにくかったりするかもしれませんがごめんなさい。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
いつも隙間で眠っている夫に仕方ないから買ってあげようか…
迷います。