どちらの手が鳴ったの。
禅のおはなしにこのようなものがあります。
和尚 (ぱんっ)「おいチンネン、いま私が叩いた手の、どちらがなったと思うかね。」
坊「わかりません。」
つづきはWikipediaでも見てください。忘れました。
かのクイーンオブポップ、マドンナの逸話にこのようなものがあります。
マネージャー「マドンナ、あなたの泊まるホテルはこちらです。」マドンナ「そう。じゃあ私の泊まる部屋の便座は交換して頂戴。他人が座った便座になんか座れないわ。」
潔癖性です。
日本国憲法9条2項には、戦争放棄が掲げられています。
「平和」の価値とは何か、と聞いたとき、ある論者はこういったそうです。
「憲法制定から60年、いままでにこの国は、一人の戦死者も出していない。」
確かにそれ自体は尊いことです。
しかしアメリカに見捨てられ、他国から攻められたらどうなるのか。一人の兵士もいないことで国民全員が戦禍に置かれてしまう。
志願兵くらい居たっていいと思いません?
つまりは、もっともらしいことを言っているように見える人に一番注意すべきであると言うことです。
どちらの手が鳴ったか。
右手が鳴ったと言われて根拠も考えずに鵜呑みにしてしまってはいけないのです。
便座をとりかえて。
あなたが触っているシンセサイザのほうがよっぽど汚いわ。
逆に、何かを断定的に宣言してしまえば、それを信じるものが必ず居るわけです。
蛇のようにさとく、鳩のように純真なれ。
今日もお疲れさまでした。

