皆さんこんばんは。

半分寝ています。ぴかりんです大あくび

 

 

 

月曜日に新曲が配られました。

 

 

 

坂本龍一さんの「Aqua」です。

 

なんとこの楽曲でクレモナは

「悲しみの表現」を求めることになりました。

 

「悲しみ」とひとくちにいっても「あああ、バスツアー雨なんやって。かなしいな」みたいな軽薄で何とかなる悲しみではなく、大切な人とのお別れ、のような、どうにもならない悲しみのこと。

 

今までさまざまなシーンで「嘆くな」と言われ続けてきたんですが悲しみを表現するよう言われたのはこれが初めてです。

 

ちなみに、クレモナの楽曲で一番幸せなのは

 

 

 

 

この中間部分に出てくる三拍子だと信じてやみません。わたしがファゴット奏者だからかもしれませんが、Asの音って本当にあったかい音がするんですよね。(他の楽器は知らんけど。ぜひ聴いてみてくださいね!)

 

今回の「aqua」は悲しみを表現するということで、今までにやったことのない取り組み、感情的な音楽をつくる作業になります。音楽自体がとてもあたたかくて、優しいんです。

 

Asから半音下がってメインはGになります。Gってわたしの中では安定した冷たさ・クリアさ・冬の朝のような澄んだ美しさのイメージです。

 

で、わたしはもちろんコラールのバスを担当するわけなんですが、答えがだいたい見えているというか、効果的な演奏については経験で譜読みは出来ます。

それをもって、他のメンバーの動き、それも心の動きがどうあるのかというのを毎度の練習で機微に察知するところから進めていきたいと思います。

 

 

それにしても…こんなところで書くのもなんなんですが。

 

 

この練習で思い出した感覚があって。

 

小さいときに、「お母さんが明日死んだらどうしよう」とか「お父さんが明日いなくなったらどうしよう」って思ったあの感覚です。絶対にありえないんだけど、それが悲しくて怖くて寝られなくなるあの感覚。

 

「失うこと」への悲しみ、恐怖。

 

音の並びはシンプルだし、音楽も優しいんだけど、同時になにかを連れ去ってしまうようなそんな音楽なのかもしれない。と思っています。

 

育たなかった子ねこがきっともう明日の朝には冷たくなっているんだろうと思う夜。のような。

逃げ場がなくって必ずやって来る悲しく美しい朝。のような。

 

30を目前にしてもありありと怖くて悲しいを感じられるもんなんですよね。人って。わたしだけかな?

 

 

監督が「この曲にたくさんの悲しい思い出を入れていってほしい」と言ったんですが、それもあって色んなことがありありと思い浮かんできて、この曲本当にわたし演奏できるのか……?とめちゃくちゃ不安になりました。

 

演奏家として、ステージに立つ者として、そういう自分の内面の感情の起伏はいらないし、なるべく排除しようと思うし、舞台で泣いてしまったら普通に恥ずかしいと思うんだけど(だいたい色んな整理のついていないときにそういうことが起こりうるので、それはいつも自省します)、その言葉がこの曲に染みついてしまった気がしました。

 

こりゃ泣いて演奏できなくなるんでねえのか…それともまた強くなるんかな。この心の動きさえも慣れてしまうんやろか。そんなことを考える一週間を過ごしています。

音楽をする、芸術をするってこういうところが辛いんだよな。

 

ぴかりん魂が抜ける

 

気になる公演があれば画像をタップ花

 

10月9日(月)は「クレモナ・バスツアー2023」

淡路島に行きます。

 

 

 

 

12月24日(日)は第15回定期公演「オマージュ」

坂本龍一氏の作品に向き合います。