去年の7月。
私には青天の霹靂な入院をしました病院
入院なんて、我が人生にないと思っていた爆  笑
もっと年取ってからならあるかな~と。
いやいや、今だって十分に年だけどさタラー
子供の頃、盲腸の手術で入院して以来の経験。
 
掌蹠膿疱症性骨関節炎が病名。
(しょうせきのうほうしょうせいこつかんせつえん)
膠原病のひとつです。
 
なのに。
なのに、相当痛かったらしいのに忘れているガーン
 
 
 
その前に、これを見て~猫
ほとんど乾いているバスタオルをお風呂椅子に掛けておいた。
下矢印

 
 
すばるが猫いないので探したら、この椅子の中にいたびっくり
子猫みたいな顔をしているけど、見つけてほしくなかったのかなタラー
下矢印
いやいや、お風呂場は危険注意だから、いつだって所在を確かめているよ。
 
 
見つかったので出てきちゃいました。
下矢印
 
寝るのに、ちょうど良かったのにねあせる猫
 
 
 
私は、3年日記をつけているのですが鉛筆
去年と一昨年に何があったのかが一目瞭然です。
 
あちこち痛いなあと思い始めたのが6月半ばくらいかな。
運動不足くらいに思っていて、カーブスでの筋トレも続けていた。
でもなんか、筋肉痛みたいな痛みを感じるようになり、7月に入ると自発痛もあったみたいでアセアセ
股関節が痛くて歩くのも辛かったようなことを書いてある。
でも、そもそも腰痛もあったし、股関節もギシギシしていて痛くて整体に行っていたから、そのせいだと思ったいた。
でも、自発痛で眠れなかったりすることがあって、これは変だと気が付き整形外科へ。
そもそも寝起きの姿勢が痛くて痛くて。
寝たはいいけど、股関節より下が痛くて眠れなかったり。
起きると背中が痛くて息も出来ないくらいだったり。
 
でもね。
忘れているのよ。
そうだったっけ!?
起きるのが大変だったのは覚えている。
トイレに行きたいけど痛くて起きれない・・のは忘れるわけがない。
でも、自発痛があったのは忘れていたし、どんな痛みだったかも忘れていたびっくり
 
人間って、都合の悪いことは忘れる生き物だとは知っていたけど。
痛かったこと、忘れるんだガーン
レントゲンを撮った時、ガラス板の上に寝かされ、病名を言って加減してもらっても、起き上がったら痛くて痛くて息できなかったえーん
入院中の検査で、車椅子だったので迎えに来てもらう間、ほんとに痛くてうずくまっていたよね。
それは覚えている。
でも、7日間の入院中、寝ると痛いから早朝から夜中の12時まで起きて座ったり歩いたりしていて、それも相当辛かったはずなのに忘れている。。。
 
身の置き所がなかったはずなのに。
 
今年の1月末から3月までの入院は、胸膜の水が引かず炎症反応が下がらないという、痛みはない入院だったけど精神的には参っていて、そっちは覚えている。
 
人間って、物理的な痛みは忘れるようになっているのかもね。
 
相当に痛かったんだな。
それでも、毎日、なんとかやり過ごしていたんだな。
整形外科の先生が、大学病院の脊椎専門医を紹介してくれて、そこから膠原病科に繋がり病気が判明して現在に至っています。
掌蹠膿疱症が皮膚科の範疇だから、皮膚科と整形外科で、どっちが主導を取るかということで、あっちとこっちをタライ回しにされそうになったところを、私は自分の意思で、脊椎専門医の先生にお願いしたのです。
だって、こっちのドクターが上の立場だったし~(笑)
そうしたら、脊椎専門医が膠原病科に紹介してくれたの~。
病院って、言いなりに従うだけではダメかもって学んだ。
必死よ、痛いんだもん、なんとかしてほしいし。
 
今、そっちの症状は安定していますが、胸膜炎になった感染症治療にステロイドのブレドニン錠を使ったので、その影響は出ていて、薬の量が減った分、関節炎による背中の張りが復活してきたみたいなの~ガーン
ソファで、ゆっくりすれば治る程度ではあるけども。
 
ま、なんとか持病と付き合っていきたいと思います。
不具合ありつつも、日々、普通に暮らせていることに感謝です。
 
闘病中の皆さま、経過観察中の皆さま。
良い方向に行きますように。