阪神大震災、東日本大震災、熊本地震と、この世に生をいただいてから大規模の地震が幾度となくありましたが、どの時も「自分には何も出来てない」という想いが残っています。
音楽家という職業において、無名であることは無力で、自分の生業も存在も、肝心な時に何のお役にも立たないじゃないかという自己否定の中で、それでも何か!それでも何か!と探しました。
結局、被災地に行く勇気はありませんでした。
正直、怖かった。怖くて怖くて、目の当たりに出来なかった。横浜に守りたいものもあった。
見苦しい言い訳ですが、その時の偽らざる気持ちです。
ミュージシャン仲間たちから集めた義援金を少しばかり現地に送り、僕は歌を作りました。
僕自身と僕の周りの方達だけでも、あの瞬間の心の痛みを、苦しみを、生々しく鮮明に思い出せるものを残すのだという想いで、余震に揺れるネオンの消えた横浜の、真っ暗な学校のピアノ室で作ったことを覚えています。
それが、その時の精一杯だったと思います。
許してください。
“遠く離れてても 心はそこにありますから”
朝日という歌の中の一節は、7年経った今でも変わらぬ気持ちです。
3月11日、心を東北に送ります。