太宰治「斜陽」 | 樅の木カフェテラス

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 Audibleで、太宰治「斜陽」を聴きました。


 若い頃に途中までは読んでいたという記憶がありますが、改めて読んで最後まで行くと、印象が違います。

 

 戦後、華族と呼ばた人たちは特権を失って、自分で生計を立てなければ生きていけなくなりました。元を正せば、明治維新の折に功績をもたらした人たちや大大名の子孫などですが。

 自ら働く術を持たない多くの人たちは没落していきます。一般労働者になれないという意識もあったのでしょう。残った資産を食いつぶすか、成功している親戚を頼るかしたようです。

 そのいずれにもならなかった人たちも当然出てきます。作品中の家族は、どうやらその道を辿るようです。


 主人公の和子は、敢えて既存の常識を破ることを目指すようになります。芯が強い女性だと思います。或いは、それは太宰治の理想像だったのかもしれません。何故なら、登場人物のうちの二人は太宰の分身だからです。

 時に男の人たちは、女性の中に理想を見いだすことがあるようです。太宰は、自分を分けて、理想像を置き、それを敢えて主人公に据えた・・・そんなふうに感じるのです。


 映画化されて、その主題歌が「ラピスラズリの涙」という小椋佳さんの歌なのですが、読み終えて先ず思ったのが、これ「ラピスラズリの涙」、合うかなぁ・・・でした。最後のサビは合うかもしれないけど。でも、対象が弟のことだとしたら?それに、家族に死に別れる悲しみは、誰にでも共有できることです。そう考えると良いのかもしれません。