pigureoのブログ

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旅行や食べ歩き、日々のつれづれなる日記

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コロナ感染が始まって3年を過ぎ、先日コロナ感染症が第5類へと移行した。

多くの人たちが、このことをきっかけに今までの鬱憤を晴らすかのように大きく活動を再開している。

たしかにこの自粛3年間の代償は大きい。

精神的なストレスに加え、他者に対する寛容さが失われ、マスク派は反マスク派を、反マスク派はマスク派を攻撃したり、些細なことで他者と言い争いが起きている。

健康な人が青空の中マスクをしようがしようまいが、それは勝手である。ただ一つ思うことは、咳など症状ある人にはぜひマスクをしてもらいたい。コロナを含めた感染症全般において有用な手段あることは間違いないのだから。そして多くの人が間違っているマスクの取り扱いも本当に学んでほしい。あと手指消毒の考え方も再度考えてほしいと思う。コロナは接触感染のリスクは下がったとはいえ、接触感染を来す感染症はあまたあり、ぜひ知ってほしいと思う。少なくとも自分の身体、特に目、鼻、口などの入り口にあたる部分を触る手はきれいにしてほしい。逆もしかり、自分の身体、目、鼻、口などを触った手でほかのものを触るのはよろしくない。できれば消毒してから触ってほしいものである。極端かもしれないが、最強の感染症であるエボラ出血熱ウイルスではその動作のちょっとした隙を盗んで感染を引き起こし人を殺してしまう。

感染症に対する基本は一緒、何かをする前後で消毒。そしてマスク、少なくとも不織布。場合によってはN95マスク。

あとは社会が、体調不良に対して寛容さをもってほしい。体調が悪いのに仕事をしないといけないと思う社会はどうかと思う。もちろん遊びに行きたくて体調不良を隠して出かけてしまうのはもっと良くない。

コロナも普通の風邪になろうとしている時ではあるが、感染症に対する考え方をコロナを含め、大きくとらえ、以上のことが守られれば、もっと優しい世界になるのではないだろうか。

 

コロナで外出しなかった期間、友人の多くが料理を行い、こぞってSNSにアップしていた。

かくいう私もこっそりと料理をしていた。ただみんなとは違い自慢できる代物ではなかった。

その時に単に食べたいものを作っただけで、できるだけ手を抜いてできないか、動画を検索して作ったものなのであった。

 

しかし作ってみて簡単で美味しかったものも結構あった。

フライパン一つで出来るチャーシュー、ジャーマンポテト、ガーリックシュリンプなど。

簡単なのだが実際にはそれなりに時間がかかり作り始めてから食べて、終わって片付けるまではゆうに3時間はかかってしまう。

休みの昼時では、ビールやワインを飲みながら、ベランダに用意したアウトドアのテーブルやチェアで自作の料理をゆっくりと楽しんだ。

通常ではなかなか出来ないことである。

 

一日も早い収束を祈りつつ、自分が今できることは自粛し家にいることと決め込んだ日々であったが、それなりに楽しむこともできたように思う。

仕事で休みがなかなか取れず、取れても結局平日の疲れをとるためにただ無為に惰眠をむさぼっていた日々を後悔する。

もう少し一日一日を大切にしなくては。

 

 

 

自宅で自粛することにすっかり慣れてしまい、逆にいい感じに週末過ごせることも増えてきた。

今後今までのような忙しい生活スタイルに戻ることができない体になってきている感じもする。

『忙しい』、心を亡くすと書くこの漢字。

つくづくその通りの字だと思う。忙しいといろいろなところに気が回らなくなる。大事なことを忘れてしまうこともある。

決してコロナを礼賛するわけではないが、こんな時代の人類に対する、神様からのきつーいお灸のようなことなのだろうか。

浮つかず、地に足を付けた生き方をしろ、と言われている気がした。

 

コロナ肺炎、人間にとっては非常に大変な出来事ではあるのだが、動物や植物にとってはどうなのだろう。なにかしらかわっているのだろうか。

人間の活動低下により、大気汚染が緩和されたり、水質改善が得られたりと地球全体にとっては良いことが起こっているようにもみえる。

仮にこの活動低下、自粛が長引けば、より人による自然への悪影響が改善され、ひょっとすると異常気象も怒らなかったりするのだろうか。

今我々がおこなっていることはマッチポンプ?

 

もっと大きな宇宙観でいえば、われわれの生き死にも大宇宙にとってはとるに足らないということか。

しかしこの小さな、私たちの願いが届き、平穏に過ごせる日が戻りますように。