今日も、あさきゆめみしブログに御訪問くださってありがとうございます(__)
今日の記事はかなりの長文となっておりますので、初めにお断りしておきますね
今日4月22日は・・・私の双子の姉の命日でございます
憶えやすいことに、あの”キング・オブ・ポップス”の”マイケル・ジャクソン”が亡くなった年(=
2009年)と一緒なんですよ
そして、また驚いたことに、4月22日はあの歴史上の大人物=空海さまの命日(新暦)と同じなんです
凄すぎじゃないですか、ホントに
それから、ご存知でしたか?
今生の命日は来世の誕生日だということを!
ということは、今生の誕生日は前世の命日ってことになりますね!!
さあ、信じるか、信じないかはあなた次第ですよっ
私は信じています、というのは、身近に生まれ変わりの人物がいるからです
それではちょっと、姉と私の子供の頃の写真を紹介したいと思います
私は昭和の女ですので、モノクロ写真はちょっとしたタイムスリップ感がありますが、驚かないでくださいね
こちらの写真は向かって左が姉M子、右の髪が薄いほうが私N子です
こちらは、向かって左の髪が薄いほうが私N子、右のふさふさ髪のほうが姉M子です
双子の姉妹であり、また親友でもあり、同志でもあった姉と私
私たちは一卵性双生児でしたが、顔は若干違っていたように思いますし、性格も姉は”陰”、私は”陽”と二人合わせて一人前のようなところがありました
そんな姉が突然亡くなったと電話で知らされたときは、雷に打たれたような衝撃で信じることができませんでした
四十九日目の夜、私の夢枕に立った姉は肩を落として俯き加減で、すまなそうな表情で一言も発せず、私を伏し目がちに見ている小さな姿が、今も脳裏に焼き付いています
ただ、それだけの夢でしたが、私が怒っているとでも思ったのかもしれません
でも、姉の夢を見たのはその一度きりで、夢で逢うことはそれ以来二度とありませんでした
そして、姉が帰りたがっていた=ここ福岡博多で行われた、2015年の7回忌法要
その様子を撮影していた私のデジカメに現れたのは、まさかの姉?
それとも、この土地に憑いてる浮遊霊?
いや、姉だと思いたい。。。
一枚目の写真を撮ろうとカメラを構えた私の目の前に、まるでそれが合図だったかのように、義兄と姉が可愛がっていた長男との間に白いオーブが突然現れたのでした
この時、私が撮影した写真の殆どに、頭上を飛び交う白いオーブが写っていました
姉が博多で催された自分の7回忌の様子を眺めに現れたのでしょうか?
姉は私と同様に、霊的な世界を素直に信じている人でしたから、オーブとなって私に自分の存在をアピールしてくれたのかしら?
不思議な話になりますが、姉の人生の終え方は、私が25歳のときに知り合いのスナックのママから紹介された・・・古代文字?神代文字?サンスクリット語?で未来を教えてくれる霊能者の方から、霊視した「一生の御神籤」として渡され、前もって知らされていたのでした
ママから紹介された~その男性霊能者が、私の人生で出会った”初”の霊能者の先生でした
その一生の御神籤と呼ばれたものは、まさに、インドの”アガスティアの葉”の日本九州版のようなものと言えるのかもしれません
私は、その一生の御神籤を入れておいたお財布をうっかり落としてしまい、現在は御神籤が手元にないのが残念で仕方ありません
弟の未来も視て頂いているので、一生の御神籤を渡してありますが、もう35年も前のことですから失くしているかもしれませんね
”アガスティアの葉”というのは、御存知の方もいらっしゃると思いますが、こちらに詳しく説明されていますので、どうぞお読みくださいね
アガスティアの葉について調べてみた【自分の運命が書かれている】 - 草の実堂 (kusanomido.com)
(↑こちらから引用)
アガスティアの葉 (アガスティアのは)は、紀元前3000年頃に実在したとされる インド の聖者 アガスティア の残した予言を伝えるとされる葉のこと 。 聖者 アガスティア が太古に残した個人の運命に対する予言が書かれているとされる葉。 南インドの タミル語 文化圏に保管されているという。 その葉は、古代タミル語で書かれており、ナディ・リーダーと呼ばれる人たちが現代タミル語に翻訳する。 この葉を読むことができるのは、10歳前後から6年以上かけて特別な訓練を受け、代々ナディ・リーダーとして運命づけられた人だけという。
先生の場合は”葉っぱ”を探しに行くのではなく、隣の部屋に籠り、その場で古代霊を降霊させての執筆=自動書記(オートマティスム)で、私には読めない古代文字を小さな白い紙に書いて、その下にその霊視内容を現代の言葉に翻訳したものを書いて渡してくださるのです
(おおおおー、まるで、ナディ・リーダーと同じですね)
そういえば、タミル語と日本語が似ているという説もあって、御神籤に書かれていた古代文字はタミル語だった可能性も”無きにしも非ず”ですね
また、私の結婚する相手の顔も分かると言われ、「描いて上げることも出来るんですよ。」と言われましたが、私は描いてもらいませんでした
今となっては、未来の旦那さまの顔を描いて頂いていれば、目の前の主人の顔と検証が出来たのにと、本当に惜しいことをしたと悔やんでいます
時を経て、現在の今は、その授かった御神籤の意味がはっきりと理解できていますが、当時の私は御神籤の内容を取り違えてしまう~という間違いを犯していました
占う為に必要な住所と名前を書いて渡したときに、「私は双子なので、霊視を間違えないでください。」と先生に頼んだせいか、二人分の御神籤となりました
その一生の御神籤の内容は・・・・・・
〇ひとりは30歳で結婚して、子供を二人産む
(=結果として、こちらは姉のことでした)
〇もうひとりも30歳で結婚して、子供を一人産む
そして、子供によって幸せになる
(結果として、こちらは私自身のことでした)
〇この二人のうち、ひとりが物凄い親不孝をする
〇子宮の病気に注意~ 子宮の病気に注意~
(余程重要なことなのか?繰り返し書いてありました)
という、一生の御神籤を私は25歳のときに授かったのでした。。。
他にも何やら書いてあったと思うのですが、憶えている重要なことはこれだけで、他の言葉は忘れてしまいました
その後、すっかり御神籤のことなど忘れていた、結婚願望がなかった私と姉が結婚したのは、御神籤を授かってから5年後の二人ともピッタリ30歳のときで、子供の出産人数も御神籤に書かれていた通りで、ドンピシャッと当たっていました
この時、私は「二人のうちのひとりが物凄い親不孝をする。」と、書いてあるのを見て、「ああ、子供をふたり産んだほうの、その子供のひとりが物凄い親不孝をするのね?」と思っていたのですが、それは後年、間違いだったと思い知るのです
”二人のうちのひとり”の二人という言葉は、”姉と私の二人”を指して書かれた言葉だったのです
そして、「”物凄い親不孝”って、何だろう?」と、当時25歳の私は考えてみて、それは、たぶん、こういう事ではないか?と思いました
①犯罪を犯して、警察に捕まって刑務所に入る
②親よりも先に死ぬこと
この2つのこと以外にはないのではないか!と、私はずっと思っていて、姉の産んだ子供(=女の子と男の子)のうちのどちらかが物凄い親不孝をするというけど、姪?甥?のどっちなんだろう?と気が気ではありませんでした
そして、姉が悲しい人生の終え方をした時に、私は初めて、”あの二人のうちのひとり”というのは、”姉か私かのどちらか”という意味だったという事を理解しました
そして、②の親よりも先に死ぬという~宿命からは逃れられない~のだということを、御神籤を授かってから23年後に悲しい事実と共に知りました
私は未来を前もって教えられていたのに、それを生かすことが出来なかったことが、ただただ悲しく心苦しいばかりでした
なぜ、あの時に知らされたのか?
それは回避できたからではないか?と、今でも時折り考えてしまいます
姉と母を相次いで亡くしてしまいましたが、姉の死を知らされないまま~天国に旅立った高齢の母と姉があの世で無事に会えて喜んでいるなら、私も嬉しいです
姉がお迎えに来たのを見て、霊体の母はビックリ!したかもしれませんね
今年の13回忌には、弟と従姪(いとこめい)たちと私の4人の連名でお花を贈ることにして、命日22日の前日に届くようにと弟が手配しました
昨日、義兄から、御礼の言葉と共にお供え花が家に届いたという連絡がありました
綺麗なお花を見て、姉が喜んでくれるといいな
また、夢でもいいから、今度は元気な笑顔で私に会いに来てほしいと願っています
そして35年前に、私に一生の御神籤を授けてくださった先生をずっと探しています
私の人生で忘れらない恩人のひとりなので、一言御礼が言いたいのですが・・・
何度か御自宅に訪問したはずなのに、先生の御自宅への道がまるで記憶を消されたかのように、どうしても思い出せないのです
ネットで探しても見つからないので、今度実際に足を運んで、有名な方だったので地元で聞き込みをすれば、何かわかるかもしれないと期待しています
「当時は御縁を頂いて、色々と力になって下さってありがとうございます。
ずっと、先生のことは忘れたことはありませんでした。」
と、伝えられたら嬉しいなと思います
人との出会いという有難い”御縁”は、人生の中で巧妙にセッティングされているのだなと、こうした経験を経て感じとっています
皆さまもどうぞ、触れ合う”御縁”を大切になさってくださいませ
そして、私も、こうして私の拙いブログを読みに訪問してくださる皆さまとの御縁を嬉しく思っています、いつも、ありがとうございます