本日午前中の観光のメインは、ここタ・プローム。
数ある宮崎駿作品の参考になったと言われる名所だけに、期待もグッと高まるものです。
ライ王のテラスから南東に約3km離れたところにあるタ・プローム。
門をくぐると、一気に現実世界からシャットアウトされる。
鳥が運んできた種子が、遺跡の合間から立派に成長。
自然の力を明らかにするために、樹木の除去や本格的なつ見直しなど
修復の手を下さないまま据え置かれている。
岩の合間に入り組む樹木の根っこ。
わざわざこんなところまで這いつくばらなくてもいいのにね~。
ここタ・プロームは、東西約1,000m、南北約700mものラテライトの壁に囲まれた広大な敷地の中にあり、
当時、僧院には5,000人あまりの僧侶と615人の踊り子が住んでいたそうです。
創建後、幾度と増築が続けられたそうで、周壁の内部は迷路のように入り組んでます。
ではでは、早速、自然の芸術品“榕樹(ようじゅ)”を見てみることに。
大蛇のように見えるもの
血管のようにからまる木
木の枝が拳に見えて、人間が仁王立ちしているように見える。
いつの日か見られなくなる時がくるのだろうか……。
中央祠堂にある金銀財宝の謎
碑文には仏像や金銀財宝をはじめ、貴重な品々が納められていたとあるそうで。
この穴ぽこは、当時、宝石やガラスが埋め込まれていたと想定される。
天然陽に反射する宝石たちの輝きは、さぞや美しかったんだろうな~。
自然の産物に夢中になりすぎて、レリーフやデバターに注目し忘れてたんだけど
タ・プロームのデバターは彫りが深くて美しいらしい。
うーん、残念
タ・プロームのメモ(現地掲示板を転写)
この寺院、今日ではタ・プロムすなわち「プラーフマ翁」という名称で知られていますが、
創建当初にはラジャヴィハラ、すなわち「王家の僧院」と名づけられました。
1186年、ジャヤヴァルマン7世は寺院建造に際して、いくつかの仏像をここに奉献しました。
その中で最も重要な尊像が、「智慧の完成」を体現する女尊、
王が実母になぞらえたプラジューニャーパーラミター(般若波羅密陀)の像と言われています。
王はそのわずか数年後、自らの宗教理念をさらに明確に顕現させようと、
実父になぞらえたローケシュヴァラ(観世音善薩)を祀る別の寺院、プレア・カンを建立しました。
王の宗教感は広義としては明らかに大乗仏教の範疇ですが、より厳密に言うと、
ジャヤヴァルマン7世の代に特異なクメール仏教の理念であり、解釈には慎重に期すべきところです。
たとえばヴァハラ(僧院)という言葉ですが、
当時の用語を近代のテーラヴァーダ(上座部仏教、小乗仏教の1宗派)の理念で解釈すべきではありません。
けれども一方で、この四周を石壁に囲繞された1km×700mの広大な境内は、
近世以降の僧院であるヴァット(上座部仏教寺院)に近い性格をもつと解することもできます。
つまりこの外周壁の内奥では、様々な位階に分かれた僧侶など夥しい人々が集い、
ひとつの教団を形成していたはずだからです。
なお通常この寺院を見学する際には、西側から入って伽藍の中央へと向かいますが、
正規の入り口は東側だということを忘れないでください。