右側に建っていたオベリスク( 高さ25m )はパリへ持ち出され、パリのコンコルド広場に建っている
ホルス神殿から約60km北上。
かつてテーベと呼ばれ、エジプトの首都として栄えていた町
ルクソールにあるルクソール神殿に到着
今じゃ、首都の面影が見られないくらい、静かでのんびりした雰囲気。
ルクソール神殿は、アメン・ラー神に捧げるために、
カルナック神殿にあるアムン大神殿の付属神殿として建立。
アムンヘテプ二世とラムセス二世によって造られました。
第一門塔の入り口両側にラムセス二世の座像があります。
またしてもラムセス二世の登場。一体どれだけ権威を示せば気が済むんだか ヽ(;´Д`)ノ
右側の座像の状態は、かなり悪い……。
第一門塔の逆側には、当時カルナック神殿 まで続いていたとされる
スフィンクス参道( 約5km )があります。
現在はもちろん途切れていて、道路が整備されているんですけどね。
この情景は、カルナック神殿 でも見ることができます。
■ラムセス二世の中庭
まぁ~たラムセス二世 ヽ(;´Д`)ノ
第一門塔を抜けると、ラムセス二世の中庭に。
中庭の周囲を74本の列柱が囲み、柱の間にはラムセス二世の立像が並んでいます。
こちらは、中庭から見た列柱廊の入り口を写したもの。
入り口にもちゃんとラムセス二世の座像があります。
こちらは、列柱廊からコプト教会へ向いて撮ったもの。
柱の途中まで色がついているのは、ナイル川氾濫時に増水したときの跡。
ここまで水が~!? Σ(・ω・ノ)ノ!
特徴から、ツタンカーメン夫妻の像とされています。
発見されたときの像は、ここまで整ってはいなかったらしく、
時間をかけて、復旧してるんだって。
……よく原型がわかるな。想定でやってるんじゃ?
列柱廊を抜けると、もう一人の建造主であるアメンホテプ三世の中庭へ。
さらにこの先には、コンス神の礼拝所・アムン神の礼拝所・ムウト神の礼拝所の3つの礼拝所があります。
これは、ナイル川が氾濫して増水する時期に行われるオペト祭で
聖船を休ませていた場所とされています。
聖船は、カルナック神殿 から、アムン神と妻ムウト神、その息子コンス神が移動するための船です。
モスクというのは、イスラム教の礼拝堂のこと。
信者同士の縄張り争いは、戦争にまでつながるほど過激なものですが、
なぜ故に神殿にモスクを建てたかといいますと……(´Д`;)
写真を見ると、壁の造りが途中で切り替わっているのがわかりますよね?
ちょうどこのあたりまで、砂で神殿全体が覆われていたので、
イスラム教徒は知らずとモスクを建てたというわけ。
よく見ると、2階( ? )あたりにイスラム教徒が造ったと思われる入り口があります。
もちろん今は、使用されていません
ただいま改装中とのことで、残念ながら中に入れませんでした (´□`。)
記憶があいまいなのですが……
レリーフが崩れて壁がむき出しになったところに、キリスト教徒がイエス・キリストの壁画を描いたとか。
発見された当時は、写真よりももっと色あせていたわけなんだけど、
技術を駆使して、復旧活動をしているらしい。
捕まえたことを表すため、牛が逆さまに描かれていました。
こちらはアメンホテプ三世の中庭にて、彼と。
こちらは、ルクソール神殿の第一塔門の前で。
……このあたりから、彼が「 お腹が痛い 」と訴えはじめる。
どうやら、彼も食あたりになったらしい。
もともと胃腸の弱い彼は、私よりも症状がひどそう。
彼の顔から笑みが消え、歩くのもしんどいとのこと。
エジプト、おそるべし ヾ(。`Д´。)ノ
■ルクソール神殿
入場料:35L.E.
OPEN:夏/6:00~22:00
冬/6:00~21:00