4/9 さよなら安岡力也。 | ぴぐブログ。

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パチスロ日記


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安岡力也さんが昨日永眠された。
65歳と若かった。


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実は安岡力也さんと面識のあるぴぐりゅう


18歳のとき俺は高校卒業し、春休みに友人と合宿で免許を取りに那須高原に行った。

俺にとって初の免許。


それは、到着して数日経ったある日のことだった。




昼間の休憩時間に『鶴ちゃんのプッツン5』とかいう番組を部屋で見てて、それにたまたま安岡さんが出ていて、キックボクシング経験者の彼が、「キックはこうしてするんじゃあああ!!」みたいなのをやってた。 


「ほんとにキックボクシングなんかやってたのかよwww」なんて友人達とちゃかしていた。




その日の夕方、授業の間に教室の外で煙草を吸っていたら



「ここで煙草吸ってもいいんだよぬぁあ?!」と後ろから声をかけてきた人がいた。





振り返るとそこに立っているのは、さっきまでテレビに映っていた安岡力也ではないか!!!!!!
小さなバッチに安岡と書かれている(笑)

「安岡さんですか?」「おお、そうだよ」


なんでこんな田舎に??!!しかも合宿免許?とにかくすんげ~頭が混乱したw
皆が気付く前に最初に声をかけてきたのが俺にだった。それが始まりだった。



彼は免取になってしまい、今回映画の撮影で運転が必要になって短期で取りにきたようだ。






そこで2週間彼との共同生活が始まる。風呂や食事も。

酒はその頃からドクターストップかけられてたね(笑)
なのになんで初日飲みに誘ってきたんだ?
ワケわかんね~って笑ってたよ俺。




そういえば、俺が仮免許で2回も落ちて、友人達が先に東京に帰ってしまった後も、笑って慰めてくれたのは安岡さんだったな……。


宿の食事で食中毒になってしまったとき、真っ先に心配してくれたのも彼だった。


安岡さんは食中毒にかからなくて笑ったなw
あの後あの食堂は営業停止になってたのになww



本当に気さくな方で18歳の若造の俺に、「安岡さんじゃなくていいよ、リッキーと呼んでくれぇ♪」
そう言ってくれた。

「誰がリッキーと呼べるかい!」そう思ったわw


記憶もおぼろげだが、あっという間に楽しい時間が過ぎた。
俺も卒業。安岡さんと別れの日が来た。
彼から連絡先を教えてくれた。


思い起こせば18歳のクソガキにだ(笑)


東京にお互い帰ったあと、『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに出演してた安岡さんを見た。
その時もその他の番組でも、合宿免許の事や俺の話をしてくれてたね。

驚いたけど、嬉しかった。





電話番号も聞いておいたのに、そのあと俺もアメリカに数年行ったり、帰ってきても就職で広島や福岡に配属となって忙しくなり連絡せずに今日に至ってしまった。







あれから時が経つ事20余年。
俺は大きくなった。歳もとった。
ここ数年、闘病生活を送っていると聞いてお見舞いにずっと行きたかった。
けど行けなくて、今すごく後悔してる。本当にごめんなさい。


息子さんもまだ小さかったのに大きくなられていて、しかも立派に育ってて驚きました。
64%も自分の肝臓をオヤジに譲ったなんて素晴らしい息子さんだ。保育士として頑張ってる息子さん見てると安岡さんの生き写しだと思う。



あなたのアメブロの存在に今日気がつき、一生懸命訴えかけている彼の叫びを目にして涙が止まりませんでした。


コメントしておきたかった。
まだ死にたくなかったんだね、痛烈にすごく伝わってきた……。








今日、俺も病院でした。生まれて初めてMRIに入りました。

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狭くて、冷たくて、孤独で、気分いいもんじゃありませんね。
いろんな検査をされながら、安岡さんは『死への不安』と戦いながら今日に至ったんだと感じました。










命がある限り、大事に生きます。








ありがとう、安岡力也。
そして、さようなら安岡力也。


どうか安らかに眠ってください。







龍。