- エジソン理系の想像力 (理想の教室)/名和 小太郎

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発明王として知られるエジソンですが、彼の最大の発明は
産業としての科学研究所をつくるなどの、経済的な発明の方が
偉大であるとも言われるようです。
当時の技術者は、大学出よりも、徒弟制度などで技術を身につけた
マッカーと呼ばれる技術オタクたちが主流で、企業は彼らにアウトソーシング
していたそうなのですが、エジソンはそういった集団を大企業の開発グループとして
取り込み、システム化していったそうです。
逆に発明のほうは、電力システムは直流方式でなく交流方式が使われ、
蓄音機は円筒方式でなく円盤方式、映画も覗きからくりでなくスクリーン上映型に、と
エジソンの発明はけっこうライバルに負けてしまっていたようです。
電気椅子で猫を殺したりして交流方式の危険性のキャンペーンをしたり、
特許をたくさんとってライバルが抵抗できないようにするなどの手法もけっこう行っていたそう。
事業家としてのエジソンの意外な面が見れて驚きです。
システムの設計者は、システムの構築者は、そしてシステムの運用者は、
システムの持つ呵責のない特性についてどんな判断をなすべきなのか p156
最後のほうの著者のこの言葉も気になります。
当時のアメリカのシステム化も、労働者不足をシステム化で対応するという必要性があったようなのですが、
それでもシステムに馴染めない人は排除されるとかそういった事態に対して、
システムは悩むことができるのか、責任主体になりうるのか、そういった問題提起なのだと思います。
責任というと、政治の擬人化が思い浮かびます。
政治は実際、与党野党の利害調整という複雑な現象なのに、
阿部晋三が坊ちゃんだから、麻生太郎がKYだからとか、
トップの人格によって政治が決まっている、という捕らえ方を
ついついしてしまいます。(この考え方だとトップが変わっても劇的な変化はない、ともいえますが。)
複雑・カオス的でもうなにが原因なのか理解できない、そしてそれ故誰を責めていいのか分からない
という心理が、政治を捕らえやすくするために安易な擬人化をしてしまうのだと思います。
全部総理大臣が起こした現象である、とすればわかりやすいし、NOを突きつけることもできますしね。
あと、送電方式やインターネット網は、統一性が必要だから、本来行政がやるべきなように思うのですが、
リスク負担も含めて、企業が最初に始めるという現状もあるみたいです。
ドゥルーズ=ガタリはあまり、というか全然理解できていないのですが、それに関連して、
こういう事業を行う企業は逃走線的で、有用であれば無害化して国などが最領土化する、
という構造があるのかなぁ、と思いました。
最近のwikiリークスなんかも、一私企業が起こした反国家的なものでも、
後に無害なものとして、情報管理システムとして国などのシステムに組み込まれるのではないでしょうか。
リクルートなんかも、ああいう大規模な労働者管理システムが民間から生まれても、
労働者の管理は国にとって必要なシステムですし、勝手に管理されるのも困るので、
一度無害化して(リクルート事件・ライブドア事件みたいな形で?)
それから国のシステムとして再領土化する・取り込む、みたいな事が常々起こっているのかなぁ、と。
まとまりませんがそんなことを思いました。