先日、ふと映画の名作を観ようと思い『風と共に去りぬ』を借りてきた。


世の中に幾万と映画タイトルはあるものの、これぞ映画だぜ!というものはこの作品をおいてないのでは。


映画に対してどのような思いを抱くは人それぞれ。

娯楽だと思う人もいれば、芸術だと思う人もいるでしょう。でもそれで良いのです。


ちなみに僕は映画とは叙事詩だと思っています。


そういう意味ではやはり『風と共に去りぬ』は人間讃歌の一大叙事詩です。


70年近く前の映画なのですが、未だに色褪せぬ南部アメリカとビビアン・リーの美しさ。


そして重厚なテーマと名シーンの数々。


あとクラーク・ゲーブルの人懐っこい笑顔ね。日本の役者じゃ宝田明さんくらいしかできませんよ。あの笑顔は。


と、まぁ絶賛ですが、僕はなんだかんだでこの作品が好きか?と言われるとそうでもない。


前半ラストシーンで、夕日の中、泥だらけのスカーレットが萎びた大根握りしめて、盗みや人殺ししてでも私は二度と飢えたりはしない!と神に誓うシーンはそれこそ待ち受け画面にしたい程好きなんですけどね。


じゃあなんでそんな好きではないかというと、出来過ぎてしまっているからです。


点数をつけるなら100点満点中、100点です。


でもそれがかえってイヤなんですよね。


ストーリーもキャスティングも演出も音楽も結末も全てが完璧だからぐうの音もでない。


そもそも原題『GONE WITH THE WIND』を『風と共に去る』ではなく『風と共に去りゆく』でもなく『風と共に去りぬ』と訳しているあたりが素晴らしい。去りぬって。


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