源頼朝と源義経の兄弟骨肉の争いをひと通り説明された後の感想が、話し合いで解決できなかったのだろうか?という女優さんがいた。


先日のTVでの一幕だ。


過去の出来事を現代に置き換え、そこから教訓として何かを得ようとする為のコメントならば妥当だし、僕もそう思います。


ですが、ただ単に可哀想という意味合いならばそれは見当違いも甚だしいのではなかろうか。





平安末期から鎌倉時代の話。


遠くへの通信手段は早馬に手紙を持たせたものでした。到着するまでに何日かを要することもあったでしょう。


たとえば。


そんな早馬の説明を受けた後に、そんなもの使わなくて電話かメールすればいいじゃない。というコメントをしたらどうだろうか。


僕なら希代の天才と思いますが、普通ならば、そんな時代にインフラもなければ技術もあるわけねーだろ!となります。


そうなんです。そんな時代にあるわけないのです。


過去と現代では生活環境に大きな隔たりがあるのは周知の事実。


それは何も物質化されているものだけとは限りません。


テクノロジーだったり、イデオロギーも含まれます。




民主主義の誕生は古代ギリシアと言われておりますが、日本が民主主義を導入したのは明治維新後。


鎌倉時代はというと、武家を中心とした封建制の時代です。つまり王とそれ以外の臣民という階級制度でもあります。


古今東西、武力がモノを言う封建時代に話し合いで解決という概念がどこまで有効だったのか。


現代人から見ればそれは野蛮と映るかもしれない。


でも現代とて1000年後の未来から見れば、破壊されていく地球環境に対して有効な手段を講じることなく、緩やかな環境破壊を黙認した暗黒時代と罵られるやもしれません。


たくさんの方がエコ活動に協力しているにも関わらずにですよ。


つまり考え方や価値観というものは時代に色濃く影響されるということです。




さて、話しを戻して。


民主主義に比べれば封建制は文明的に未熟だったでしょう。


ルソーやモンテスキューが現れて頼朝を説得しない限り、頼朝がどんなに考えたとて現代の我々と同じ思考に至ることはないのです。


しかし人間が持つ他者を慈しみ愛することができる本質はいつの時代も変わらないもの。そうであると僕は信じています。


頼朝は頼朝なりに状況を好転させようとしたのではなかろうか。


ただ選択肢は多くなく、もしかしたら正解はなかったのかもしれない。


でもその中から悩んだ末に出したのが、あの結果ならばそれを否定的に捉えるのは現代人のエゴでしかない。






ちなみに。


僕は頼朝、義経共に好きです。源平合戦というと、どうしても戦国時代に比べクローズアップされません。


来年の大河ドラマは松山ケンイチさん主演の平清盛らしいです。


清盛も非常に人間臭く、波瀾万丈な人生ですから楽しみですね。




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