【訃報】小川宏さん死去、90歳…過去経歴にうつ病で自殺未遂、身内裏切りで億の謝金… | official-Maria

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 フジテレビ系「小川宏ショー」などで知られたフリーアナウンサーの小川宏さんが、2016年11月29日に多臓器不全のため亡くなっていたことが分かりました。90歳。

 2016年10月の半ばに肺炎となり、都内の病院に入院していたという。葬儀・告別式は近親者で行い、喪主は妻・富佐子(ふさこ)さんが務めたとのこと。

 小川宏さんは早稲田大卒業後、NHK入局。1955年年から10年間にわたってクイズ番組「ジェスチャー」の司会を務めた。1966年にNHKを退局してフリーとなり、同年から1982年までフジテレビ系朝のワイドショー「小川宏ショー」に司会として出演。番組終了後に鬱病を患うも克服。その闘病体験を元に執筆活動や講演活動にも力を注ぎ、近年まで仕事を続けていました。

 小川宏さんの経歴、画像、死去に対するネット・SNS・世間の反応などのまとめ。 



小川宏さん死去、90歳 過去に自殺未遂、身内裏切りで億単位借金
2016/12/05(月)
 フジテレビ「小川宏ショー」などで知られた名司会者でフリーアナウンサーの小川宏さんが11月29日に多臓器不全で亡くなっていたことが5日、分かった。90歳。東京都墨田区出身。

 早稲田大学卒業後、NHKでアナウンサーとして「ジェスチャー」の司会を10年間務めた後、1965年に同局を退職。同年フリーに転身し、フジで「小川宏ショー」をスタートした。82年の番組終了まで17年間で放送回数は4451回を記録した。

 91年秋にうつ病を発症。一時は妻から離婚を切り出されるほど重症となり、93年3月には私鉄沿線で踏切自殺未遂騒動も起こした。線路わきに3時間立ち、電車が来るたびに「死のう」と飛び込もうとしたが、思いとどまり、新調したスーツを泥だらけにして家に帰ったという

 治療のため、3カ月入院。99年にうつ病だったことや、自殺未遂、フリー転身後に設立したプロダクションで身内に裏切られ、9千万円あった貯金をすべてなくしたことなども告白した。

 65年にフリー転身後、節税対策でプロダクションを設立。身内に実印を預けて一切を任せたが、その身内が小川さんの預金を勝手に引き出して、株や不動産に投資し、億単位の借金を残して死んだ。小川さんは9000万円あった貯金もなくなり、その後、うつ病を発症した

 2000年のインタデビューでは、うつ病で入院中、遠藤周作さんと対談した時に「病気とは、生活の上での苦しみであって、人生の挫折ではない」と意見が一致したことを思いだし、少し気持ちが楽になったことなどを明かしている。

 また「人生80年時代ですから、高齢者とは80歳以上だと思います。私はまだ青年なんです」と穏やかな笑顔で話していた。

 うつ病克服後は自身の体験をもとに講演活動や本の出版などを行っていた

2016年12月5日(月) 16:57 デイリースポーツ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161205-00000079-dal-ent


■画像

 亡くなっていたことが分かった小川宏さん
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「小川宏ショー」最終回後にスタッフから胴上げされる小川宏さん
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小川宏 プロフィール 経歴
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名前:小川宏(おがわ ひろし)
職業:フリーアナウンサー、司会者、元NHKアナウンサー
生年月日:1926年4月17日
没年月日:2016年11月29日
出身地:東京都墨田区
最終学歴:早稲田大学専門部工科建築科
活動期間:1949年 ~ 2016年



■経歴・人物

東京府南葛飾郡寺島村(現:東京都墨田区東向島)生まれ。東京都立第七中学校(現:東京都立墨田川高等学校)を経て早稲田大学専門部工科建築科を卒業後、一旦間組(現在のハザマ)に入社するも半年で退職。

NHKには二次募集で入局した。同期には八木治郎、大塚利兵衛、福島幸雄、穂坂俊明がいる。鶴岡放送局、郡山放送局(現在はいずれも支局)に勤務後、1952年より東京勤務となる。1955年より『ジェスチャー』の4代目司会者として10年にわたって活躍。同番組における圧倒的な知名度を背景に1965年1月に退職。

NHK退職後、フジテレビと専属契約を結び、1965年5月より同局朝のワイドショー『小川宏ショー』の司会を通算17年務め、4451回という金字塔を打ち立て、「人名を冠した番組の最長寿記録」としてギネスブックから認定・掲載された(後に「森田一義アワー 笑っていいとも!」(タモリ<森田一義>司会)がこの記録を塗り替えている)。同番組における小川の穏やかな雰囲気や話術は主婦層にも長く支持され、この点から「春の小川」なる異名を取るようになった。また、同番組には朝の生放送番組であるにも関わらず、杉村春子、高峰三枝子、石原裕次郎、長嶋茂雄、前田武彦、永六輔、黒柳徹子などの大物ゲストが多数出演しており、これも小川の司会ぶりに対する信頼の高さを裏付けるものとなった。

『小川宏ショー』終了後、うつ病を発症し自ら克服、その体験談を出版し、後にその経験を元に講演活動を行うなど活躍している。

二女の夫は作曲家の中山大三郎で、2005年に中山が死去した後は中山が遺した作品は現在全て小川や二女や孫、中山の弟たちが権利を保管している。

読売新聞などのテレビ欄の投稿コーナーに「アナウンサー」として投稿することもある。また、読売の一般投稿気流欄には一国民として投稿している。

なお、幼馴染の3代目三遊亭圓歌によると、小川は元々吃音者であり、圓歌が真似をしているうちに同じく吃音者になってしまい、それが圓歌を落語家にするきっかけとなったという。とある機会にアナウンサーと落語家として再会した時にはお互いに驚いた、と圓歌は「中沢家の人々」の中で話している。

NHK時代、先輩アナウンサーからは「小川ちゃん」と呼ばれかわいがられた。高橋圭三からは、「顕微鏡で調べて望遠鏡で放送しろ」とアドバイスされたという。

2016年11月29日、多臓器不全により90歳で没した。



■司会としてのテレビ出演番組

・ジェスチャー(NHK) 1955年1月~1964年12月
・小川宏ショー(フジテレビ) 1965年5月~1982年3月
・FNS歌謡祭(フジテレビ) 1974年~1976年
・小川宏のなんでもカンでも!(フジテレビ) 1982年10月~1985年3月
・日本放送演芸大賞(フジテレビ)
・これが世界の心霊だ(フジテレビ) 1983年~1985年(全6回)
・オールスター家族対抗歌合戦(フジテレビ) 1984年7月~1986年9月
・黄金世代!(フジテレビ) 1987年4月~9月
・小川宏の日曜TOP情報(フジテレビ)



■関連リンク

・Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/小川宏

ネット・SNS・世間の反応
小川宏ショー
合掌

※フジテレビの朝番組流れ
小川宏ショー (1965年5月3~1982年)

おはよう!ナイスデイ、ナイスデイ (1965年~1998年)

とくダネ! (1999年)

なんか急に出なくなったよね。なんで干されたの?あと歳取ってから何かの番組に出てた時に普通にすげー嫌なやつだった。
ご冥福をお祈りいたしたます


干されたんじゃない。うつ病を患っていたから。徹子の部屋で明かしたのを見ていたよ。

no title

徹子の部屋で線路に飛び込もうとして思いとどまった話をしたことがあったと思う。 90歳まで生きて、大往生だよね。

うつ病本の人

鬱になったけど克服して生き延びた人だな

読売新聞の投書欄で時々見たな

読売投稿で最後に見たのはいつだろう

 
NHKの「ジェスチャー」の名司会をされていたことが強く記憶に残っています。
謹んで哀悼の意を表します。

 
世代的に小川宏ショーの記憶しかないから、フジの局アナだとばかり思ってた。もとはNHKの人だったのか

一時期は司会者のトップだったよね

あらー
ゆとりにはわからない人やね

90歳で多臓器不全
これって老衰のこと?

 
 
まあそうだね
97に他界したうちのじいさん、死亡診断書の死因に「老衰」と思い切り書かれてた
誤嚥性肺炎を患ってはいたけどね

また一週間も経ってから死んでた報告
この人に世話になってちゃんとお別れしたい人が沢山いるだろうに

偉大な司会者の名前は皆「宏」だな

小川宏
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久米宏
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関口宏
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ていうか今年は大橋巨泉、永六輔といい昭和の人が亡くなりすぎだ
昭和の終わりを感じる


no title


ろくでなしが多いな


お前、いつも昭和の終わりを感じてるな

なんとなくすでに故人だと錯覚していた。

 
正直、今まで存命だったことに驚いた

no title


失礼ながら俺もだ。


よくわかります。逆に死んでる著名人を存命だと思い込んでる時がある。

2時のワイドショーの
奥田博之と吉本真由美は元気かな


よく見てたなぁ
夫婦110番とか

アニメ声優の回と河合奈保子の回がすばらしかったな。

頼近美津子さんとのコンビは忘れません
合掌

※頼近美津子アナウンサー
2009年5月17日死去、満53歳没

no title

お疲れ様でした
まだ御健在だった事に驚いた

これはまた大物が亡くなったな
ご冥福をお祈りします