王嘉尔 喜欢,就不会觉得累 (ジャクソン:好きなら、疲れたなんて思わない)

 

 

 原文こちらです(画像あり)→王嘉尔:喜欢,就不会觉得累 | Esquire 封面

 

 体にぴったりの上着が彼を包み込むさまは、精巧にして繊細だ。空気が汚れていて肺を圧迫する現場で、彼は惜しげもなく仕事に力を入れる。まっすぐで率直な彼の性格は現場のすべての人に好感を持たせた。私は彼にこの雑誌の読者になにか言いたいことをあるか尋ねると、ジャクソンは同じぐらいの年齢の音楽ファンに対して、少し止まって、改めて自分の中国語を組み立てて言った。「みんなに僕がただ一つ言いたいのは自分の仕事をまじめにこなして、後悔しないということです。」

 

 

 

 16歳ジャクソンはもう二度とフェンシングをしないと決意し、自分の愛する音楽の世界に身を投じた。その年、彼はアジアジュニアフェンシングチャンピオンシップで一位になり、アメリカの大学の奨学金を得た。それまでの人生のレールに照らし合わせれば、彼の完全な文武両道の将来を歩み、同年代の人がうらやむ人生が続くはずだった。

 

 さらに時をさかのぼること6年前、ジャクソンが10歳の時、父親の影響でフェンシングに興味を持ち、フェンシング人生をスタートさせた。彼はすぐに青少年のプロトレーニングプログラムに参加し、香港のフェンシングチームでコーチをしていた父と同じく彼もフェンシングを自分の特別な項目として選んだ。父の才能を受け継ぎ、たった数年の間にアジアジュニアチャンピオンとなり、香港でもチャンピオンとなり、中国国内のチャンピオンをも獲得し、全てが順調に進んでいるとき、ある声が響いた。「僕はフェンシングに申し訳ないと言いたい。音楽こそが僕がずっとやりたいこと、夢だ。」

 

 スポーツ選手時代、ジャクソンは練習中でも休憩中でもずっとイヤホンを身に付けるのが習慣だった。音楽は彼に違った心境をもたらした。試合前、それらのメロディが脳に届くと試合でとてつもない力を発揮した。普段の単調で味気ないトレーニング中、音楽は最高の調整剤となった。音楽を楽しみ、頼りにし、一分の時間でさえ離れることができなくなった。「僕はパソコンを使って少しメロディなどを作るようになりました。」「なぜ自分から試してみないのか?」

 

 このチャレンジの結果、彼は止まらなくなってしまった。周囲のすべての人が、彼がフェンシングをやめアーティストになるという選択をすることを反対し、慌てすぎだとか、唐突だとか、更には身分不相応だなど、様々な異なる意見が押し寄せた。

 

 「実際、周囲の人が言っていることは全て正しいです。でも人生は僕のものだ。僕はそう言いたいです。僕の楽しさを感じることはできますか?僕が年を取って自分の孫たちに、君のおじいさんは昔このようなことチャンスがあったんだ…と言わなくてはならない未来を考えたら僕は狂ってしまいそうになりました。僕は受け入れられませんでした。もし失敗したとしても僕は自分の手の中で死にたい。こう思うからまた勇気が湧いてきます。」

 

 9年後の今、この時7か月をかけて自分の心を説得し、人生の選択をなし得たことについて触れると、ジャクソンはまだ少し興奮し感動していた。よいとも悪いともいえない選択の前で、自分を信じないことを選べば、きっと一生後悔しただろう。16歳のジャクソンは他の若者と同じく選択に迷っていた。でもある一点ははっきりしていた。それは私が自分で判断できない時、他の人の意見の合理性について判断することはより難しい、ということだ。

 

 別の角度から見れば、これはジャクソンが人生で初めて両親に自分の選択を受け入れてもらうよう説得した経験だ。「僕は、人は25歳になっても、35歳になっても、45歳になっても両親の前ではみんな子供だと思います。全世界の両親はみんな同じかもしれません。自分の子供を最も愛し、自分のもっている経験をもとに全力で子供をリスクから避けようとします。自分の子どもが挑戦したいと思ったとき、両親は自分の子供がみずからリスクに向かっていってほしいとは思わないでしょう。」この難しい説得は7か月の時間を要した。説得は細かく真摯に、最も重要なことはもちろん自分の未来の計画を両親に話して聞かせなければならないところだ。

 

 まだご両親が同意してくれた時のことを覚えていますか?「僕は僕の計画で両親の心を動かしたかったです。そして両親にこんなに長い時間ずっと情熱を持ち続けることができるということと、一時の気の迷いではないということをわかってもらいました。」自分で自分を理解することは終止符のないことだ。ジャクソンの表現によれば、それは人生の中で不可欠な一部分なのだ。

 

 

 

 もし、また14mのピスト(フェンシングの試合場)を歩く機会は少なくても、フェンシングというスポーツはジャクソンに十分であるという判を押すだろう。現場での相互作用、舞台上の即興、生活のこまごましているあれこれにかかわらず、彼は理路整然として、反応は敏捷であった。これは規則に従って規則通りに動く若者のそれではない。しかし同時に、彼はその場の雰囲気毎の基本のルールを守る。試合中に電光石火の間に起こる状況が多くなれば、対応するための策略も知らず知らずのうちに増えた。コーチも彼に突然起きたことに素早く最善の反応ができるように慣れさせた。

 

 「基本の技と規則がわかった後、僕は何故こうしなければならないのかと考えました。このようにやってみるのはどうだろう、ルールにのっとれば、理にかなっているのはいろいろあるぞと。」彼がなぜ短い練習期間の後、素早く表彰台の一番上に立つことができたかということはこのことが一番よく説明している。頭を使って試合をするフェンサーが、また家族からの素晴らしい教えと力添えを得たら、どうして大会で輝かないでいられるだろうか。

 

 「僕はフェンシングを始めてから、自分を信じることができるようになりました。」勝つことはジャクソンにとっては必ずしも本当に喜びではなかった。彼は努力によってすべての結果を得たと平然と受け入れた。「力を尽くせば負けてもOKです。運によって勝った時は興奮しません。」小さい頃から彼はすでに知っていた。多くのスポーツあるいは仕事の中で、一位になった人はゆるぎない最強の選手では決してないということだ。「例えば、僕がフェンシングの大会に参加して、上位20人の選手が本当にほとんど同じ実力なら、誰が勝ち、誰が負けるかは本番で発揮された力や状態の方がより重要でしょう。」

 

 勝つことが重要だろうか?

 

 努力こそが重要だ。

 

 努力は疲れの報いだろうか?

 

 「疲れの種類は二つあります。身体的なものと精神的なもの。あらゆることにはリスクがあり、体も精神も疲れを感じます。でも僕は好きです。これこそが一つのプロセスです。」

 

 彼と同年代のアイドルと彼が異なるのはジャクソンがどんな問題も避けようとしないことだ。周囲の人が彼の中国語を「塑料普通话」(へたくそな中国語)とからかっても気にしない。ただ早口言葉にチャレンジすることは丁重に断る。「もういいでしょう。僕はできません。」この二年間彼が努力して自らの中国語表現力を世界に通じる高い水準まで引き上げ、あらゆる場面、要求にこたえたことは見ればわかる。

 

 たくさん話すようになると、彼は意図せず時折奥深く出典のある故事が出てしまうことがある。ただ古典の文字を表現に取り入れた時、本来の意味からずれが生じてしまう。言語の面白いところはここではあるが。このようなずれの存在が彼を鼓舞する。「僕は元々自分に満足しません。自分に満足しすぎればリラックスして気が緩んでしまいます。人はそこで止まってしまいます。僕はまだもっと遠くまで行きたいです。」

 

 

 

 この文武両道の道を手放し、音楽を作ることを人生の一番重要な事と位置付けたこの子の心には尽きない夢が隠されている。ジャクソンは今後もし機会があれば映画に出ると言う。「もしピッタリな映画に出る機会があれば僕は逃しません。もちろん僕の職業はずっと歌手ですが。」歌手はよくやり、初志にそむかない。彼を誘惑する映画ジャンルがアクション映画なのは疑いもない。一番はクライム映画(刑事ものあるいはギャングもの)で、アクションシーンが特別激しいものでなくてはならない。撮影の時にはできる限りスタントマンは使わない。これが彼の映画の夢だ。

 

 もっと多くの甘いラブストーリーが将来あなたを探し出すかもしれないことを考えたことはないですか?

 

 「ぼくはそれが僕のしたいことではないとだけは言えます。僕がやりたいのは観客が映画館で僕を見て、わっ!と叫ぶ、そのような映画です。」

 

 どのように会社を説得してこの夢をかなえようか考えたことはありますか?

 

 「チャンスが来れば、16歳の時に両親を説得した時のことしか参考になりませんが、より簡単だと思います。」

 

 今多くの時間、ジャクソンは創作、録音室、ミキシング、MVなど事の大小にかかわらず、自分の音楽をどうやってもっと良くするかを考えている。次世代の音楽関係者はオールラウンダーでなくてはならず、彼らが直面しなければならない物事はしだいに増えているかもしれない。「作品が完成して半分、もう半分はプロモーションです。もし芸術性の高い作品が生まれたとしても見る人がいなければ、結果は明白です。」

 

 一曲の歌を作ることは歌手にとってはまずメロディで自分の心を動かすことだ。。世界中どこにも歌手自身よりもメロディを理解する人はおらず、「僕よりもMVの中の隠れたストーリーがわかる人がいるはずがありません」。今の大きな環境は作品を作った後の段階において、残酷な部分を作り出した。他の人に10分以上の時間をかけて作品を説明する人はいない。選択の厳しさは必ずしも悪いことではないだろう。

 

 流行については、ジャクソンは畏敬しているが、盲従してはいない。彼の生存ルールの中では、流行に従うことは基本・必須の範疇ではない。「僕は流行を追うことは何も悪いことではないと思います。これは選択です。でも歌手が流行のスタイルを追うことを選ぶことは、その人はこの業界の中で流行を毎日ずっと追い続けなければならないことを意味します。」もしかしたら、自分の個性を作ることはより賢い選択かもしれない。個性があれば、追いかける人たちもすぐにジャクソンの作品と分かるだろう。

 

 また、彼も彼の新曲録音を心配している。自分の表現とチームの意図に違いがないか、一人の英雄からみんなのアイドルへと変わったあとおのずとやってくる問題が心配だ。幸いにも彼の心の堅固さと圧力に抵抗する巨大な力を打ち破ることは誰にもできない。

 

 「好きなことをしているときは難しいとか疲れたとか挑戦だとか思いません。あらゆることにリスクがあります。ゲームをしているときでさえ、腰が悪くなったり、視力が悪くなったりすることを心配しますよね?」ジャクソンはあっさりと答え、一つの少し重い話題を解消した。

 

 

 

 25歳の誕生日を過ぎ、ジャクソンは自身についてより多くのことについてハングリー精神を持っているし、自分の選択により従っていると話した。ハングリーであり続けることは自分の欲望をいつでも開放するように見えるが、実が王家衛の映画≪一代宗師≫に出てくるセリフ「宁可一思进,莫在一丝停(一考しても、止まってはいけない。)」のようでもある。自分の選択に従うということは、失敗は自分の選択の元にあるということを受け入れるということに過ぎない。はたから見ると先天的な優位が目の前の少年にどれだけ役立つかは知ることができない。彼の人生の重要な部分は彼自身が戦って勝ち取ってきたものだ。

 

 たくさんの率直な言葉と表現の後、ジャクソンは突然止まって、自分の中国語表現を組み立てているのではないが、真剣に、「僕が僕自身について話すのは、僕の話がほかの人の参考になればと思うからです。僕はこのストーリーを読んだ人が自分自身のことをし、最後に自分からなりたい自分に近づいてほしいのです。」

 

 誰もほかの人の人生の責任はとれないし、どんな環境も人を似せることはできない。