
豚袋でございます。
皆様たいへんご無沙汰してしまいました。会社的に期末~期初はバタバタしてしまうのはサラリーマンの悲しいさだめ。今年はワタクシも営業を離れ、簡単に言うと「ECサイトの立ち上げと社内外ネット環境の整備」というまったく今までと違う部署に異動したこともあり、ここしばらくはかなり忙しい状況でありました。でもよく考えたら、昨年の今時期も放置ブログ状態で4カ月の休止をしていた頃でありましたので、それよりは全然マシな状況で今年を迎えているということでしょう。ポジティヴに考えたい今日この頃でございます。今月後半からまた忙しくなりそうですが、ブログは休止しても止めない方針のもと細々ながらも続けていきたいと思っております。不義理な豚ですが、皆様今後とも何とぞあきれずよろしくお付き合いくださいませm(__)m
さてさて、久々の記事は何で行こうかといろいろ考えましたが、昨年の4カ月休業後の復活記事はセックス・ピストルズで始めさせていただいた事もあり、今回の口あけもジョニー・ロットン改めジョン・ライドン先生にお願いしようと思います。パブリック・イメージ・リミテッド(以下P.I.L)の「メタル・ボックス」にフォーカスしたいと思います。(ブログ始めた頃ですが、彼らのフラワーズ・オブ・ロマンスは記事にしていました。)
P.I.L…言わずと知れたロンドン・パンクのカリスマ、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンが脱退後に結成したポスト・パンクバンド。本名を曝した彼の脱退後の最初のワークは、セックス・ピストルズの否定とパンクという音楽そのものを解体していく事からはじまりました。(それはまるで、ジョン・レノンがソロワーク「ジョンの魂」でビートルズという過去との決別を宣言し、自己の内面を吐露した状況に酷似したものだったと思います。)ファースト・イシュー「パブリック・イメージ」はピストルズから変わらぬ素人同然の稚拙なテクニックながらも、圧倒的に差異・存在感のある「音塊」がありました。パンクという音楽は、基本ロックンロールがベースになっており、ラウドに高速にエッジーに奏でてちょっと厭世的なスパイスや煽情的なメッセージを加えたものに他ならないのですが、P.I.Lはその様式と常識を解体して新しいものを作り出そうとしていました。多くのパンクスが戸惑う中で満を持して追い打ちをかけたのがこのアルバム「メタル・ボックス」というわけです。
正確に言うと、メタルボックスはリアルタイムでは買えませんでした。高価だったし流通量もなかった。当然セカンド・エディションを待たねばなりませんでした。(大人になってからCDの缶入りをゲットしましたが、3枚入りでなかったのは残念でした(笑))ワタクシも満を持して聞いたわけですが、ちょっとした衝撃でした。
一曲目のアルバトロスからすでに世界に引き込まれます。ジャー・ウォブルのひたすらダウナーな重低音ベース。フリーキーに鳴らすキース・レヴィンのまさにメタリックな剥き出しのソリッドギター。ピストルズの頃にはあり得ないまるで呪術師のようなライドンの呻き。ハーモニーだとか構成だとかそんなものを超越した「新しい何か」を感じさせました。前作以上に吹っ切れたような、確信に満ちた音塊がそこにはありました。圧倒されていく内に断末魔のような叫びの中にうごめくクラシックの名曲「Swan Lake(白鳥の湖)」の新解釈に呆然。
そして続くこの曲の世界観に、どうしようもない絶望感とたゆたう「超現実的でありながらえぐられたように突きつけられる現実感」の狭間に引きずり込まれていきました。
日本車で森まで車で行こう
田舎のタール付いたゴムの匂い
銃の照準が俺にとっては最悪
裸で木の後ろに立たされながら…
田舎のタール付いたゴムの匂い
銃の照準が俺にとっては最悪
裸で木の後ろに立たされながら…
カセットから流れるポップトーンズ
俺はお前が作った強烈な印象を忘れない
お前は俺の頭の後ろに穴をあけた
木の葉と泥炭で隠されるのは嫌だ
湿っていて、体温が失われていく…
お前は俺の頭の後ろに穴をあけた
木の葉と泥炭で隠されるのは嫌だ
湿っていて、体温が失われていく…
カセットから流れるポップトーンズ
血が流れっぱなしの心臓が肉体を探している
プライドをほとんど失わせた
英国の田舎にピクニックに行くのを奨励しよう!
プライドをほとんど失わせた
英国の田舎にピクニックに行くのを奨励しよう!
ポップトーンズが…
ほとんど状況をぶった切ったようなセンテンスが、強烈に状況を脳裏に焼き付けます。そして限りなくループしていくギターリフ…最大多数の幸福感が悪夢と化していくことの皮肉が、どうしようもない絶望感と喪失感を植え付けていく。この一曲がこのアルバムのすべてを物語っているかのように思います。まさに多くのポスト・パンクスが志向した、解体・再構築的な方法論をこのアルバムで完成させたと言っていいでしょう。数々のフォロワーが後に続き、その最大の産物がポップ・グループという存在に結びついた、と考えるのは単なる邪推ではないと思います。
この恐るべきアルバムをリリースした後に、重低音の要であったジャー・ウォブルが脱退。奇跡的に生み出された音塊はもう終わったと誰もが思いました。しかしライドンのすごいところは、その解体的手法をさらに進化させ「ベース抜き」という苦境を逆手にとって、さらにプリミティヴな慟哭的アルバム「フラワーズ・オブ・ロマンス」を作り上げてしまった事です。そこではより削ぎ落とされたことにより原始的なエスニック、シャーマニズムを感じさせるまでに音塊が昇華されて行ったのでした。この2枚は本当に歴史的にみても意味のある大名盤だと思います。
1983年に来日した時見に行きました。「This is not a love song」を引っ提げそれなりのアクトでしたが、内容は後で振り返るに???でした。アンコールで「アナーキー・イン・ザ・UK」をやった時にはそれまでの思い入れが一挙に醒めてしまったような印象がありました。でも自分にとって大きな意味を持つ人間のアクトを見れた感激でその時はいっぱいだったと思います。それ以降のライドンにはもう自身のワークを超えるものは出来ないと思いこんだ自分にとっては、興味を持ち続ける対象にはなりませんでしたが。
それでは、また。