JOHN LENNON / SHAVED FISH (1975) | 極私的洋楽生活

 

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豚袋でございます。ちょっと仕事がテンパってしまい、更新ができない状況にあります。でも、今日は全ての音楽ファンにとっていろんな意味で忘れられぬ日です。理路整然と本人的には書いているつもり?の洋楽生活書庫ですが、時間を言い訳にしたくはないのですが、今回に限っては思いにまかせて勢いだけで書かせていただこうかと思います。

日本時間で12月8日、くしくもリメンバー・パールハーバーの日が別の意味で忘れられなくなった今から27年前の1980年、その凶行を聞いたのはテレビのニュースだったと記憶しています。最初は正直よく意味が飲み込めませんでした。とても驚いた、けど感情的に動揺する事がなかった自分。どこかこうなる事を予測したかのような既視感があったような気がします。

冷静だったのは今にして思えば、多分レノンからしばらく離れていた事、そして久々に復活した彼の新作「ダブル・ファンタジー」に対して失望感を抱いていたからではないかと思います。

私にとってのジョン・レノンは「ジョンの魂」を聞いた時に感じた衝撃からスタートしています。あのアルバムが、ビートルズのワンオブゼムから決定的にマイ・パーソナル・ジーザスにしてしまいました。あからさまにさらけ出す自己。弱さともろさを内包しながら、常に理想に向かって肯定的に、言い聞かせながら闘うファイター。そのイメージは既存のヒロイックなものとは全く異質のバランスと輝きを放っておりました。

イマジンを始めその後のアルバムを聴いても、大きくそのイメージから逸脱する事なく、ヌートピア宣言の「あいすません」という極限的に情けない曲すら美的に思えたくらいです。そうした何かと「闘っている」レノンが「ダブル・ファンタジー」には感じられず、5年間の主夫生活で確信的に家族愛に満ち溢れてしまった堕落を感じさえしたものです。

冷静さと驚きと詳細への渇望を抱いたまま、感傷的な浸り方をしなくてはいけないかのようにして、このアルバム「シェイブド・フィッシュ」に針を落としました。言わずもがな、ジョンのベスト盤です。バランスよく彼のワークからチョイスされた珠玉のレベル・ミュージックとラブ&プロテストソングがちりばめられた名盤だと思います。ジャケットも「削り節」の名の通りフードパッケージっぽくて楽しい。

で、このアルバムを聴いているうちに涙が止まらなくなった。ニュースに対して割と平静だった自分が初めて揺さ振られた。「ファンだから悲しまなくてはならない」的な必要性に迫られた訳でなく、「泣いている自分に酔う」的な陶酔でなく、ただただ自然と涙が出ていく。そうだ、死んでしまったんだ。二度とこの素晴らしい曲を唄う事はないんだ。さぞかし無念だったのだろうに…勝手にジョンにシンクロして感情的になってしまったのでしょうか。数々の楽曲の旋律への反応と思い入れがとめどもなく溢れ出していきました。

今にして思えば、ダブル・ファンタジーに感じた失望感は全く見当違いだったような気がします。ジョンは一貫してリアルタイムな自分をさらけ出す事に終始し、喜怒哀楽がわかりやすく親しみやすいその音楽性により多くの共感を得たアーティストなのでしょう。何かと常に闘っていた訳ではなく、その時々の自分を素直に語っていたわけで、その時のテーマが家族愛だったと理解できます。

そんな訳で、豚にとってこのアルバムはジョンの死に対していろいろな整理をつけるきっかけを作ってくれたのでした。毎年ジョンの命日にはこれを聴くようにしています。



 

Happy Xmas (War Is Over) こんなに美しいクリスマスソングは他にないです。

 

Give Peace A Chance ジョン珠玉のプロテスト・ソングです。