人類が歴史に登場して300万年ほど経つらしいが、

他の動物達と異なる文明を発展させた鍵として、
『道具』『言葉』『火の利用』があるというのは、

おそらく高校を卒業した人間ならば
誰でも一度は耳にした事はあるだろうし、
小中学生でも「ドラ○もん」を読んでいれば
たぶん知っていると思われる。


詳細については著作権侵害になるので
「詳しく知りたきゃ、この本を読んでくれ」としか言えないが、


「自転車からジェット機、
 家電製品から発電所、
 携帯電話からスパコンまで、
 金属のお世話になっていないものは一つもありません。

 本書は、そんな金属について、
 (東北大学名誉教授3名が)詳しく、それでいて丁寧に解説し」
 てくれている。


あいにくと俺は文系なんで、
流し読み程度では2割程度しか理解できていないがorz


とりあえず、
この本の26ページにだけは良い事書いてあったので、
引用させてもらおう。

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アルケミスト<錬金術師> ~錬金術の研究=化学の発展~

 昔から、砂や岩に混じる金などの貴重なものを回収する選鉱技術や、
 硫黄や炭にさまざまな鉱物を混ぜて溶融し、
 それに含まれる金を回収する化学的な方法が工夫された。

 これらの技術を持つ人々は、アルケミスト(後代の訳、錬金術師)と呼ばれ、
 社会的にも尊敬され、鍛冶屋や薬屋などの専門職も生み出した。


 錬金術師は、16世紀ごろまで生き残るが、
 その晩年には、鉛などの金属を金に変える技術を持つ神がかり的な職、
 やがては詐欺師として牢獄に放り込まれる否定的な呼称となった。


 しかし金を求め、果ては不老不死の薬を求める過程で、
 
 火薬や薬剤の調合技術の発展、鉄砲の発明、金属やさまざまな無機化合物の性質や
 化学反応に関する膨大な知識の集積をもたらし、
 化学の発展に貢献したという業績は否定できない。


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何が言いたいかというと、
『バ○と天才は紙一重』という話。
 
おもしろいかどうか」 も 「趣味が良い/悪い」も、
『人それぞれ』 = 個人の主観だろうというのは、

今の所俺の個人的見解に過ぎないんですが。


個人的にはどうにも、
『人それぞれ』 という言葉は嫌いだ。

〔まぁ、個人的に嫌いだからと言って、
 その主張を認めない(否定する)わけにもいかないのが
“人の世” というやつなんでしょうがw〕




例えて言えば、

「何を選ぶか」 は 『人それぞれ』 であるにしても、


どちらか一方しか選べない時に、
 どちらも選ばない=違う選択肢を求める」 ことまで
『人それぞれ』 と言えるかどうかという話。



無理やりオチをつければ、、

大阪府は今月27日(日)に向けてボルテージが上がってるのが、
個人的には「おもしろい」話で、

「誰を選ぶ(=誰が選ばれるか)」 のと 「誰も選ばない」 のは
似て非なるものという話。

〔細かいことを言えばややこしくなるので、
             無理やりのオチということでm(_ _)m〕

「感性に合う/合わない」というやつを、

別の言い方で
「良い趣味してる」 / 「趣味が悪い」 って
言うじゃないですか。



この 『趣味』 というやつが、

“感覚” という意味で使ってるうちはまぁ
 良い/悪いで判断(表現)されるのも理解できるんですが、

“行動” のほうで使われるのは、
個人的には実に納得がいかないんですよね。



たとえば、
 「趣味は音楽鑑賞です」って言う人がいて、

それだけで「良い趣味ですね」と返すのは、
少々早計というやつではないかと。


(まぁ、音楽鑑賞だったら、
 大抵の人は「どんな曲を聴くんですか?」と返すだろうが、

これが「写真撮影」とか「絵画」とか「陶芸」とかになってくると、

それだけで何か 『芸術家』 っつーか 『文化人』 っつーか
なんかこう “教養高い” = “知的” という認識になるというのが。)






逆に言えば、

人がどんな服を着ようがどんな調味料を好もうが、

それが自分の感性に合わないからって
「趣味が悪い」と否定するのは、


考えようによってはものすごく失礼なことなのではないか
俺は思うんですよね。



まぁ、

かく言う俺の趣味が何なのか?というのは、
なかなか「同好の士=理解者」が現れないくらい偏ってるんですけどねw
一匹の犬だか猫だか馬だか蛇だかを見て、
 「体も白けりゃ、尾も白い」 という古典的ネタがありますが、

このネタがおもしろい=笑えるかどうかってのは、
  結局のところ聞く側の感性(理解力)が大きいと思うんですよね。


言う側の感性(表現力)というのもあるんでしょうけど、
 どっちの比重が大きいかと言われれば、

個人的には『受け手の問題』 = 各個人の主観なんじゃないかと。



「箸が転がっても可笑しい年頃」なんて慣用句もあったりしますが、

オカシイのはお前の頭だろ? みたいなw



ただまぁ、アレですよね。

別に世間の風潮がどうであろうが、

他人に迷惑をかけない/不快感を与えない範囲であれば、

何をどう楽しもうとも、それはそれで 『精神の自由』 かなぁ~とは
思ってみつつ、


今日び随分と厳しくなってきた、言いたいことも言えないこんな世の中で、

俺は俺を適度にだましつつ戦っていこうかなと思います。