私事ですが、先日祖母が亡くなりました。
96才で、本当にきれいな老衰?という言い方もおかしいですが、亡くなる3週間前まで自分の事はすべて自分でやり、外出こそ少なくなったもののお化粧を毎日して、新聞を読み、煮物を作ったり、とにかくいつも何かをしている人でした。
祖母は私の母と、叔母と3人で暮らしていて、亡くなる時も二人の娘に看取ってもらい、病院に入ることもなく本当に幸せな最後だったんじゃないかなと思います。
母も叔母もできることは全てやったし、何も悔いはなく送り出せたと。
亡くなる少し前から、もう意識がないから今日明日よと言われてましたが、九州まで行くのは遠いし、こちらはこちらで予定があるから、後3日待ってくれ~って勝手なことを言っていたら、本当に私たちが動ける日まで頑張ってくれて、お通夜お葬式と間に合いました。
祖母が亡くなって悲しいというより、お疲れさまでした、苦しまずに逝けて良かったという気持ち。薬も飲んでいなかった健康な人だったので、死に顔も色白でキレイで美人は死ぬ時も美人なのねって従妹と笑い合いました。
祖母の時代の人は、戦争を乗り越え、貧しい時代を乗り越え、たくさん苦労をして厳しい時代を生きてきたと思います。体も心も強くいなければ生き延びれなかっただろうな。
母と暮らすようになってから「今は極楽極楽」と笑っていました。
祖母が亡くなったことで、次は母を私が見送る番になると実感したのですが、やっぱりできることなら近くで安心して見送ってあげたいなと思います。だからなるべく祖母のように健康で、介護の期間を短く、ピンピンころりでお願いしますと願ってしまいます![]()
祖母にも、母にも、自分自身にも、娘にも、「ああ良い人生でした
ありがとう」って思って逝けるように、今を充実させて生きていけたらなと思うのです。
私たちの時代はある程度自由なってきて、それでも今の子供たちよりも選択肢は少なかったように思うけれども、やろうと思えば、男だからとか、女だからとか関係なく大抵のことにはチャレンジできる世の中になっていたと思うのです。
私の娘はやりたいことが明確にあり、普通の高校を選ばず、通信で高校の卒業資格を取りながら、専門学校に通っていますがやりたいということを応援してあげれる環境を用意できるのは、親としては良かったと思う一方、お金出してるんだからしっかりやんなさいよねーっていうプレッシャーも与えてしまってます (笑)
娘の学校の友達はまだ高校生ながら、親元を離れて夢に向かっている子も沢山いて、そんな子たちを見ていると心から頑張って!負けるな!って応援したくなります。
自分が15才の時にこれをやりたいっていうことが見つからなかったから、やりたいと思うことがあるのがとても羨ましい。
ただ、実際には学校にこなくなってしまう子もいるようで。今まで親にやってもらっていたこと、「起きなさい」ってかけられる朝の一声、学校から帰ってきての些細な会話とかそういう何気ない日常のうっとおしいって思うような親の行動って意外と子供にとっては大切なんじゃないかなって気が付きました。
だから一生懸命がんばっているママさんたち、どんなに無視されても、うざがられても無駄ではないと思います~お互い頑張りましょう!(笑)
とにかく私自身の心を充実させるための行動、そこの中には子供たちをほどほどに育てる事、母の事もほどほどに準備覚悟をしておくことなども組み込まれてきますが、人は一人では生きられないので、家族、友人がいることをありがたく思いながら過ごしていこうと思います。
祖母のお葬式の日、トランジットの蠍座の太陽と、私の月は120度のトライン、トランジットの土星と私の月が60度のセクスタイルというアスペクト。
公の伝統的行事?であるお葬式という場所で、親戚が集まり、久しぶりの従妹たちとの会話、家族、親せきの関係や長女という責任を否応なく実感させられましたが、話に花が咲き中々楽しい時間でした。
