かつて総務省在職当時、構造改革特区の評価を担当し、評価委員会を傍聴していた時、教育分野の専門部会の委員であった慶應義塾大学の金子郁容先生がこうおっしゃっていたのを覚えている。「自分の母校、出身校がなくなるということは自分の学位を証明してくれる機関がなくなるということだ。(それくらいに重大なことである。)」

 母校の危機、母校が抱える課題は過去の想い出の中の話ではなく、今現在の、自分たちの問題、自分ちのブランディングの問題である。この認識をしっかりと持っている人はそう多くはないかもしれない。

 中高生を対象とした教育市場の規模は全国的には着実に縮小傾向にある。静岡に関してもこれは当てはまり、静岡市及び周辺地域への若い子持ちの夫婦の大量流入ということでも起らない限り、これは当分変らないだろう。

 昨日、自分の母校の危機的状況、具体的には志願者及び入学者の大幅な減少という危機について改めて先輩方から詳細に伺った。対岸の火事とタカをくくっていられる状況ではなくなった。高校の価値は、大学進学率によって測られる傾向があるようだが、本来はそのような目先の数字ではなく、卒業生の社会での活躍というもっと大きく長期的な視点から考えるべきものであると思う。言い方を換えれば、社会で活躍する卒業生そのものが高校の価値であり、そうした価値を生みうる学校なのだということを社会に対して、親に対して発信していくことが必要である。私はその一端を担おうと思う。静岡聖光学院の卒業生であるということをもっと積極的に発信していこう。