かつて総務省在職当時、構造改革特区の評価を担当し、評価委員会を傍聴していた時、教育分野の専門部会の委員であった慶應義塾大学の金子郁容先生がこうおっしゃっていたのを覚えている。「自分の母校、出身校がなくなるということは自分の学位を証明してくれる機関がなくなるということだ。(それくらいに重大なことである。)」

 母校の危機、母校が抱える課題は過去の想い出の中の話ではなく、今現在の、自分たちの問題、自分ちのブランディングの問題である。この認識をしっかりと持っている人はそう多くはないかもしれない。

 中高生を対象とした教育市場の規模は全国的には着実に縮小傾向にある。静岡に関してもこれは当てはまり、静岡市及び周辺地域への若い子持ちの夫婦の大量流入ということでも起らない限り、これは当分変らないだろう。

 昨日、自分の母校の危機的状況、具体的には志願者及び入学者の大幅な減少という危機について改めて先輩方から詳細に伺った。対岸の火事とタカをくくっていられる状況ではなくなった。高校の価値は、大学進学率によって測られる傾向があるようだが、本来はそのような目先の数字ではなく、卒業生の社会での活躍というもっと大きく長期的な視点から考えるべきものであると思う。言い方を換えれば、社会で活躍する卒業生そのものが高校の価値であり、そうした価値を生みうる学校なのだということを社会に対して、親に対して発信していくことが必要である。私はその一端を担おうと思う。静岡聖光学院の卒業生であるということをもっと積極的に発信していこう。
友人がSNSで、いろいろなものを整理して、自分に必要なものを見分けることができた、と書いていた。

これを読み、自分を振り返ってみた時、確かにこの一年、まだ11ヶ月だが、拡大再生産でいろいろなものを抱え込んできたなと思った。もしかしたら抱え込みすぎたかもしれない。(いわゆる一人で抱え込んで悩んでいるといった類のものではなく、手を広げすぎたという意味で。)

何事にも整理が必要。ということで、巷では整理とか整理術が流行っているらしい。

整理すればいいわけではないし、そもそも、その手の話は単なる方法論の話で、整理のための整理、「なんか分からないけど整理しないといけないらしいから整理しなきゃ。」という場合が多いようだ。

だから当然そんなものは捨て置くわけだが、今何が必要で、今何をしなければならないのか、すべきなのか、した方がいいのか、これくらいを見分ける見識は必要だろう。(これは方法論やマニュアルの話ではない。)

しかし、どうも振り返ってみると、ここ数ヶ月はそれが薄れていたような気がする。

巷には多くの情報があふれている。ネットにもそれ以上に情報があふれている。真実もあれば虚偽の情報もある。前者の方が少ないくらいかもしれない。後者には人を煽動したり、惑わしたりすることを目的にしたものも散見される。

したがって冷静な姿勢と目が求められるのだが、この激変の時代、なおさらそれが求められるわけなのだが、自分は出来ているつもりだったのだが、常にそうでいることがやっぱり簡単ではないということなのだろう。

やるべきことややりたいことはたくさんある。しかし、時間的に考えて全てできるわけではないし、能力的に考えて全て出来るわけでもない。これは誰でも同じ。(だから優劣の話でもない。)

だったら、自分が出来ることと、出来る人を支援することを明確に分けて、実現すべきと思うことを実現していこう。そうすれば世の中は、少なくとも自分の周りはより良くなっていくはずだ。

そして、そんな人達が増えれば、輸入物の余計な概念や我が国の素晴らしい発想を歪曲したものなど用いることなく、よりよい社会が実現できるのではないか。

 今日、突然一本の電話が入った。見れば会員になっている茅ヶ崎のボディーボードショップ「Party」からだった。どうしたのだろうと思い受話器を取る。「もしもし、ご無沙汰です。」
受話器の向こうの店長は単刀直入にこう切り出す。「ご無沙汰。今月末で店を閉めることにしたよ。」
一瞬何のことか分からなくなったが、気を取り戻して聞いたところ、震災の影響で客足が遠のいていたのに加え、頭のどこかに来るべき相模湾沖地震がちらつきながら海に行くのは心地よくないし、会員の多くもそう思っているようだ。だったらダラダラ続けるのではなく、これを機に退こう、そう考えてのことだそうだ。

 確かに、震災以降、自分自身も何時来るとも知れない相模湾沖地震を考えて、なかなか茅ヶ崎に行こうと踏み切れなかった。しかし、友人や知人と話す中で、何時来るか分からないならそれを恐れていても仕方がない。家で遭遇したならいいが、地下鉄だったら、柔な建物にいる時だったら・・・結局地震がくるタイミングと自分の居場所の最適の組合せは選ぶことができない。だったら、好きなことをしていよう。そうだ、やっぱり海に行こう、茅ヶ崎に行こう。そう思っていた矢先の突然の電話だった。

 あの賑わっていた茅ヶ崎の店が、今やもう何もなく電話一本で後片付けをしている状態だって?とても僕には信じられない。頭の中にどこか穴が空いた感じのまま午後の時間は過ぎていく。総合特区法施行令と施行規則の分析も中途半端になる。

 思い返せば10年前、ボディーボードを本格的にやりたいと思ってたまたまフラッと行った茅ヶ崎で出会った店。店長の人柄や他の会員の気さくな雰囲気に触れて会員となり早10年。ちょうど今年会員登録を更新すればまさに10年になるところだった。

 通っていくうちに、茅ヶ崎は単に波乗りをするところだけではなく、いつの間にか自分が行きたいまちになっていた。店の近くのサンドイッチ屋「清月」おじいちゃんとおばあちゃんとの短い会話が茅ヶ崎にいる気分を盛り上げてくれた。道すがらのサーフショップの人達との軽い会話や情報交換、それも皆僕にとっての茅ヶ崎を構成していた。どれもこれも茅ヶ崎に行く場所があったからこそのことであった。

 そして何より、店長や店の会員達との会話が楽しかった。特に店長との会話は波乗りや海の話から時事ネタまで幅広く、時には波に乗っているよりも長いことさえあった。

 それもこれも、今月末で終わり。一つの時代が終わった気がする。

 でも、Partyを通してつながった茅ヶ崎との関係は終わらないし、店長や仲間達との関係も終わるものではない。一つの終わりではあっても、新しい時代の始まり、次の章の幕開け、きっとそうなるはずだ。

 この週末は茅ヶ崎に行ってみよう。そうしたら何が見えるだろうか?