ず~っとほっぽといたブログ書こうかなと思い立ちました。主人からの経済的自立を目指しながら働いてきてはいたのですが中々自分が必要としてるお金には結び付かなかったのです。でも働きながら探していたら理想とする所が見つかりました。諦めないで探して良かった。感謝ですビックリマーク主人は定年退職後は一人で生活したいと、私と一緒に住む気は無いと云われていましたのでなんとか間に合いました。後は前に向かって行くだけ。私の理想は歳とったら二人でいたわり合い支え合って、生きて行きたかったのに。今まで迷惑かけたぶん相手が倒れたら助けて、一緒に歩いていけたらと思っていたのに。亡くしてしまった子供の為に仲良く行けたらと思っていたのに。でも主人はそうではなかった。もう愚痴はこれを最後にゆう事は有りません。今は私自身が前向きに進んで行こうと決めたから。
そうゆう家族の中で育ったので、東京育ちですが高校を卒業すると同時に千葉の大学の学生寮にはいり卒業する迄帰らず、就職してからは会社の独身寮で過ごしたそうです。なにが原因かは知らないのですが友達は一人もつくらない人なので、会社でなにかあると家まで持ってきて私に当たり散らすのが日常茶飯事で、感情のコントロールが出来ないので言葉とゆう暴力、普通の暴力。穏やかに話していても、なにかあの人の怒るツボに入ると豹変するので注意を払いながらの会話なので疲れてしまう私がいます。私も仕事を持っているので余り疲れて来ると自分の部屋に行く日が多くなると、それはそれで面白くなく、怒鳴って、出て行けと、俺の顔見たくないならみたいな繰り返し。プライドは高いので自分が馬鹿にされるのが、たまらない人。姉達に言わすと私だったらすぐに別れているって言われます。私は自分の不注意で私達の子供を亡くしているので別れたら子供に申し訳ないとゆう思いと私がいなかったらこの人どうするんだろうと。今更あの人の性格治らないだろうから、誰も相手する人いないのではないかと思ったりして。向こうはなにも思ってないのにね
おはようございます。前ブログに書いた事あるから、解ると思うんだけど、姉の借金を背負って、今は返済しているんだけど、中々許そうとしてくれない人が常に側にいます。彼が小さい時に小児麻痺になって、懸命なリハビリで今は、右手が全く使えないのと右足に障害が残っていますね。脳には障害がないので普通の生活は遅れますが。私は彼と結婚する時、私の家族に反対にあいましたが、私の友達に車椅子で身体は不自由なのに、心は不自由ではなく強く優しく前向きになんでも、取り組んでいる人がいたので、迷いわなくしたのですが。現実は違っていましたね。身体が不自由な分、人に馬鹿にされないように勉強は頑張ってきた人です。彼は、母親から他の兄弟みたいに愛情をかけられなかったと言う事があります。勉強だけを評価するみたいな。私の育つた家と正反対。お金はなく貧しかったけど愛情は人一倍有る親だったので勉強はそこそこあればみたいな。また書きます。