偉ぶる論争強者


 論争や喧嘩をする界隈で、論争強者が威張るのをたまに目にします。たしかに「優れている」という意味(語義)では「偉い」のですが、まるで身分まで高くなったかのように偉ぶって周りを見下す人を見ると「なんか勘違いしてるなぁ」と思う時があります。


 以下偉ぶる論争強者KYと書きます。

偉ぶる人は何人かいるのでKYは個人ではありません、勘違い野郎の略です。


 この界隈では論争や喧嘩の強さをレベル分けしたレートがあり、上層・中層・下層と呼ばれる人達がいるので、上層の人は立場的に偉くなった気分になる人も現れるんだと思います。


 攻撃的な人が多く、論争や喧嘩で優劣をつける世界なので心理としてはKYになりやすいのは理解しますが、実際はほとんどが同じ趣味で楽しんでる人という対等の立場です。強いから尊敬する人がいたり周りが逆らいにくくなったり、多少偉ぶっても許容してくれる人が多いだけで、威張って人を見下していい立場になったわけではありません。


 例えば、学生たちの中で勉強が優秀だったら「人より学力が優れてる」という意味(語義)では「偉い」にはなりますが、人間関係として身分が高い「偉い人」になるわけではありません。部活でもそうです、例えばバスケ部でバスケの能力が高いからといって普段の人間関係でも偉くなるわけではありません。


 そもそも身分が高い人も偉ぶっていい理由になっていません。例えば社長という立場でも


・人当たりが良く他者を見下さない人。

・物静かであまり話さない人。

・王様気分で権威を振り翳す人。

・立場を利用していじめをする人。


 のように色んなタイプがいますが、どんな人柄かによって会社の雰囲気が変わります。王様気分の威張った社長だと長続きしない社員(辞職)の割合が増えます。社員のモチベーションも下がり仕事にも影響します。人柄が良い社長だと社内の雰囲気が良くなり、社員のモチベーションまで変わり、仕事に良い影響を与えます。※仕事で甘やかすのとは違います。


 つまり、立場を理由に偉ぶってるのは個人の人間性の問題です。偉ぶっていられるのは周りが逆らいにくい立場だったり、我慢しているからです。「社長だから威張っていい」という価値観の人は許容すると思いますが、それでも人間なのでストレスを感じます。


 逆らいにくい理由は、仕事だったらクビになったり、仕事に影響したり気まずい雰囲気になってしまうから我慢しています。


 論争界隈なら「どうせ文句言っても言葉でねじ伏せられる」「人間関係を悪くしたくない」「ここに居づらくなる」という気持ちがあるから逆らい難くなり我慢しています。KYを尊敬して偉いと思って納得しているからではありません。自分にデメリットが生じるからです。


 他者が「偉い」と心から感じられる場合は、人柄の良さも備わっている場合がほとんどです。優れた能力+人柄に対して尊敬できるから敬意を払って接します。 


 なので、KYが権力を振りかざすような態度を取り続けると、周りの人は尊敬の気持ちが薄れて反発心が芽生えたり嫌ったりします。人として軽蔑する人も現れるでしょう。ストレスを感じて我慢しているので、いずれ堪忍袋の尾が切れる人も現れます。


社会人のKYは最悪パワハラで訴えられます


 何度も言いますが、威張っていられるのは偉いからではなく、周りが我慢してくれているからです。社長の説明にも書いたように「強いから威張っていい」という価値観の人が許容する場合もありますが、人間なので威張られ続けるとその許容を維持出来なくなる可能性大です。


 俺は論争が強いから偉い!優れてるから威張っていいんだ!周りは俺に敬意を払え!それなりの態度で接しろ!と勘違いしてる人はいつか居場所を無くすかもしれません。敬意を払うというのは尊敬できる相手に自分の意思でするのが自然です。人に強要される事ではありません。


 社会では礼儀として敬意を払うパフォーマンスが必要な場面もありますが、それはパフォーマンスする側の判断(自己責任)なので「敬意を払う」という課題はその行為をする側にあります。


 相手が敬意を促すとしても「社会の礼儀を伝える程度」であって威張っていいから言うわけではありません。また、敬意を払ってほしいという感情で言うのは押し付けです。

 

以上です。

最後まで読んでいただきありがとうございます。