P.I.E.GROUP.SANDAのニューズレター編集部です。
地域コミュニティの健康福祉向上を目的とし、病気の予防(Prevention)、介在(Intervention)、教育 (Education)を提案する情報誌 第7号発行しました。
今回は、当法人の会員である西章先生(沖縄大学人文学部/哲学・倫理学教員)に寄稿いただきました。
身体的な健康情報を発信してきた、ニューズレターですが、今回は、初の試み、内面、心の健康について書かれています。
そして、A3サイズ(仕上がりはA4サイズ)で、読みごたえがあります。
是非、ご覧ください。
会員の方へは9月下旬に発送します。
タイトル
「心の健康」とは何か?
相模原障害者殺傷事件が問いかけていること
目次
1.はじめに
2.誰もが持っている「心の内なる差別意識」
3.自他の「あるがまま」を認めて生きる:「 意味―無意味」の彼方へ
1.はじめに
今から5年前の2016年7月26日、一つの事件が起きました。同日未明、かつて自分が働いていた障害者施設に侵入した一人の青年(以降Uと表記)が、重度障害者のみを狙い19名の命を奪った事件、いわゆる相模原障害者殺傷事件です。今年3月31日に死刑が確定したことで、法的には一応決着がついたと言えるでしょう。
しかし、その決着はあくまでも法的なレヴェルにおいてだけであって、本当の意味では何の決着もついていないことは看過されてはなりません。というのも、「障害者は不幸を作ることしかできない」という考えに基づきこの事件を起こした人間を社会から法的に排除・抹殺して事足れり、というのでは、この事件が私たち一人ひとりに問いかけていることとは一体何なのか、ということが不問に付されままだからです。このことが問い返されないかぎりは、この事件に決着がついたとは到底言えません。
こうしたことを踏まえ、次節では、この不問に付されたままの問いを浮き彫りにし、誰もが「社会的に役立たない=生きる意味がない」という考えを抱いてしまっていることを明らかにしていきます。そして次々節では、こうした考えに絶えず批判的に立ち向かうところにこそ、自他のあるがままを認めることができる〈健康な心〉が萌してくるのではないのかということを示します。
続きは
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