今から15年前の1月17日朝、5時45分過ぎ、

阪神地方を大きな地震が襲った。


後に、阪神淡路大震災と名付けられた災害は、

信じられない程の負傷者の方、亡くなられた方を数える事になった。


大阪と言う土地は、地震が少なく、

何処か、地震に対しては対岸の火事で、

その頃は、何の対策もしていないのが、実状だったと思う。


そんな阪神地方を襲った、前代稀な地震・・・。


幸せな事に、私は全く覚えていない。

(沢山の被害を出した事柄なのに、本当に申し訳ない事です。)


何故なら、前日の16日は、旦那さんの誕生日で、

当時流行のニューハーフのお店で、

夜9時から、朝の5時まで飲み明かし、

帰宅したのが朝の5時半だったから。


ボトル2本半を2人で空け、

ヘベレケ状態で帰宅した事だけを、覚えている。


顔を洗い、直ぐに眠ると、何だか凄く揺れていた。

でも、まさかそれが地震だとは思いもせず、

酔っ払っているからだと思っていた。


目覚めたのは、寒さからだった。


当時、猫を飼っていて、ベランダの鍵は掛けていなかったから、

地震の揺れで、その重いガラス戸が開いたのだ。


時計に目をやると、壁にあるはずの時計が無かった。


直ぐにTVを点けたが、

まだお酒に侵略されたままの頭には、

TVの画像の意味が分からなかった。


(どのチャンネルを見ても、同じ様な映像だったと思う。)


トイレに行こうと、キッチンに足を踏み入れて、

ようやく少し、何か大変な事が起きたのだと、理解出来た。


キッチンの食器棚のガラス戸が開き、

中の食器が、粉々に散乱していたのだ。


足の踏み場が無い・・・・・。


本当にそんな状況だったにも係わらず、

私達の家付近は、大きな被害が無い事を知り、

本当の被害の大きさにおののいた。


実際、私の親戚も2人亡くなった。

1階で眠っていて、落ちて来た2階床の下敷きになったのだ。


淡路島の母の墓石も倒れたと、後になって知った。


15年経った今でも、記憶に新しい災害なのに、

同じ阪神に住んでいて、私はその時の恐さを知らない。


今の時期に放映される、追悼番組を観る度、

私は申し訳ない思いで、一杯になる。