旦那さんは、私の顔を見て『あ』と言いかけた。

私はてっきり、あかんよ・・・と、言われると思って

思わず目を閉じていた。


「あっ!そうなん?31日しかあかんのやったら、行って来たら?」

私は思わず耳を疑った。


「えっ?良いの?」と、私は答えていた。


「良いも悪いもその日しか無いんやろ?」

「うん。でもお節料理作らんとあかんやん。」

「それは、おかんと俺とで作っとくから、良いよ。」

(旦那さんは、元調理師です。)


「行かせてくれるのは嬉しいけど、お義母さんに何言われるか、

分からないし・・・・。」

私は素直に、行きたい。絶対行く!!と、心で叫びながら、

言葉では悩んでいる振りをしていた。


私は、いつからこんなに計算高い人間に成り下がったのだろう。

真っ直ぐ生きなさいと、

亡くなった母に、小さい頃から言われ続けて来たのに。


それでも私は、ヨウに逢う為なら、どんな嘘も芝居も、

やってのける自信があった。


綺麗事は言わないでいよう。

私はもう、人の道を外してしまっているのだから。

そう、自分に何度も言い聞かせた。


「じゃあ、午前中に出て行って、夜までには帰って来る様にしたら?」

また、旦那さんが、私の背中を押す。


「ありがとう。じゃあ、そうさせて貰って良いかな?」

私は、今始めて決心したかの様な口ぶりで答えた。


「やーちゃん、前に、年末も特養で過ごす人の為に、年越しパーティーを手伝いに行かんとあかんかも知れへん。って言ってたやんか。」


「うん。でもそれ、私は行かなくても良くなったんよ。うちの看護師さんと、

ヘルパーさんが行ってくれるから。」

「分かってるよ。けど、それを理由にしたら言いやんか。

おかんも納得しよるやろ?」


さすがは、浮気慣れした人の考える事は違う!と、私は変に感心した。


「ありがとう。ホントにそうさせて貰って良いんかな?」

「ええよ。俺も仕事やって言うて、何回も静岡行かせて貰ってるし。」


人が聞いたら、きっと夫婦の会話とは思わないだろう。

それでも私達は、間違いなく戸籍上の夫婦なのだ。


男と女の愛情ではなく、苦楽を共にして来た戦友として、繋がっている夫婦なのだと、改めて私は思っていた。


買い物を済ませ、私達は同じ家に帰る。

新しい年を迎える準備を仲良くする私達は、

傍から見ると幸せな家族にみえるだろう。


私は、人に何て言われたって良いと、日頃から思っていた。


他人は所詮、困った時には助けてはくれない。

自分たちの家庭は自分で守るしかない。

それなら、私たちが納得していれば、私たちは紛れも無い夫婦なのだ。


でも、そんな理屈は義母には通用しない。

義母の前では、普通の夫婦を演じなければならなかった。


私はその事でストレスを感じたが、年老いた義母を必要以上に悩ませる事も、本意ではなかった。

出来るだけその姿勢を崩さない様、気を付けるしかなかった。


帰り道の車の中で、私は旦那さんと綿密な打ち合わせをした。


朝は出来るだけ早目に出掛け、出来れば夕方には帰って来る事。

突然の買い物に出掛けるかも知れないので、家の近くはうろうろしない事。

出掛ける服装は、出来るだけ仕事っぽくする事。


話をしている内に、私はとても悪い事をしでかす算段をしている様で、

気分が落ち込んだ。

それでも、行くのをやめる!とは、言わなかった。


2000年の最後にヨウと逢えるのなら、どんな事でも出来る・・・と、

落ち込む気持ち以上に、逢いたい気持ちが勝っていた。


そして、、私はヨウにメールを送った。


大好きなドキドキ大好きなドキドキ洋へラブラブ


(久しぶりに使う表題に私の心は既に、ヨウの元へ飛んでいた。)


31日。逢えるよ。

ただ、夕方、出来れば6時には家に帰りたいんだけど、良いかな?


クリスマスプレゼントも、その日渡すね。


じゃあ、返事待ってます。 弥生より・・・ラブラブ