私のヨウへの想いを本気だと確認した旦那さんは、
それでもこのまま夫婦として暮らす事を望んだ。
義母の面倒を見なければいけない事もあっただろう。
生活の事を心配したのも事実だろう。
でも、若しかしたら、私とヨウがいつか終わって、家庭に戻って来るかも知れない・・・・と言う思いが半分以上を占めている様だった。
私の性格を知っていて、それでもそう思おうとしたのは、
ただ単に希望を持ちたかっただけのかも知れない。
「やーちゃんの気持はちゃんと分かった。それでもいつか元の夫婦に戻れる日が絶対来ないとは言えないやんか?
俺は、その日が来ると信じて、これからも一緒に生活して行くよ。」
本心だったのだろう。
きっと、いつか元通りに戻れると思っていたのだろう。
(でも、その後も何人もの女の人と付き合ったのだから、
旦那さんは本当に病気なのかも知れません。)
私たちは沢山のお酒を飲み、話し尽くすことは話し、家路に着いた。
翌日からも、またいつも通りの日々が続いた。
11月15日水曜日。私の誕生日を前に、
「今年の誕生日は何処に食事に行く?」と、旦那さんに聞かれた。
「悪いけど、その日はヨウと逢うから、
お誕生日祝ってくれるのは別の日にしてくれる?」
私は精一杯、悪びれない振りをして言った。
「分かった。じゃあ、次の日曜日にでもしようか。・・・・・。」
寂しげなのか、理解した上なのか。
どちらとも判断出来ない溜息と共に、旦那さんが答えた。
そして、「おかんには接待で出掛けると言う事にしてくれ。」
と、旦那さんが続けて言った。
私は、言わなくても良い嘘を、義母との同居の為に
付かなくてはいけない事にストレスを感じ、
「何で?友達と遊びに行くって言うよ。
何で、私がそこまでお義母さんに気ぃ使わなあかんの?
この間も言ったけど、これからもヨウとは付き合うんやから。
その度に仕事を言い訳するのは嫌や。」と、答えた。
「けど、おかんかて心配するやろうから、
出来るだけ知らさん様にしたら良いんと違うか?」
「わざわざヨウの事を話すつもりは無いけど、
いちいち言い訳考えるのは、疲れるし。
友達と出掛ける、で良いやんか。子供やないんやから、
誰と何処に行きます・・・まで、説明する必要無いって言いたいのよ。
私は!!」
段々と、声が大きくなるのを押さえられなかった。
「やーちゃんは、そんなにおかんが嫌いか?」
話の矛先が変わっていくのを感じながらも、今ちゃんと言っておかなければ、ずっと義母に対してストレスだけを感じる事になってしまう。
そう思い私は答えた。
「嫌いって言ってるんやない。オーちゃんがずっと浮気し続けてた時、
『お願いやから、ずっとオーちゃんの事見捨てんといたって』って、お義母さん言うてたんよ。で?私は、遊びにも行けないの?
何かをする度に、いちいちお義母さんにお伺い立てなあかんのかって、
言いたいの。」
そして私は、最後の切り札を発した。
「そこまでお義母さんに気を遣って生活せんとあかんのやったら、
私出て行くわ。親子水入らずで暮らしたら良いやんか。」
言い終えてから、ここまで言うつもりは無かったのに・・・と、
自分の言葉に自分自身が傷付いていた。
「分かった。そこまでやーちゃんが決めてるんやったら、もう何も言わんとく。
けど、出て行くのだけは止めてくれ。頼む。」
旦那さんは頭を下げていた。
その姿にやっと私は、自分自身を取り戻した。
「ごめん。こんな事言うつもりや無かったのに。出ては行かない。
でも、お願いやから、最初にお義母さんありき・・・。
みたいな事は言わんといて。何も、波風を立てたいなんて、
思ってないけど、必要以上の嘘は言いたくないから。
仕事でストレス抱えて、家でもストレス抱えたら、私、身が持たないから。」
「うん。分かったよ。」
これ以上私に何を言っても無駄だと思ったのだろうか、
旦那さんは口をつぐんだ。
いざとなれば、何もかも捨てても良い。
自分の為に生きよう・・・と、決めた私には、恐いものは無かった。
そう思いながらも、決して家族を捨てて出て行けないだろう自分の弱さも分かっていた。
ただ、暫くはヨウとの甘い恋を楽しみたかった。
その為には、何を犠牲にしても良いと、思っていたのだ。
2000年の出来事は、今、思い返しても全てがヨウに繋がる。
笑った事、泣いた事。その全ての思い出がヨウにしか繋がらない。
2000年の11月。
私はこれからもずっと、ヨウと生きて行くと決めていた。