ヨウはお誕生日の翌日から横浜に一週間の予定で出張に出掛けた。


出逢った頃は、あちこちに呼ばれて、腕だけを買われ

仕事に行くと言う形態だったが、私と知り合ったのを機に、

自分で仕事を取って、その都度職人さんを集めて現場に向かうと言う、

ひとり親方の形態に変わって行った。


いずれは奥さんとの離婚を踏まえ、

養育費などを払う為にとの考えからだったのだろう。


ただ、ヨウは全くと言って良いほどの職人バカ

(表現が悪くてごめんなさい。)で、会社として動かして行く事の術を

全く知らなかった。

私が事務的な事を、少しづつ伝授しなくてはいけなかった。


そして、最初に貰えた大きな仕事が横浜での仕事だった。


既に15万キロを走行していたデ○カに、

4人と道具を積み横浜に向かった。


9月の頭はまだ暑く、

「クーラーの効かないデ○カでの長距離移動は大変だから、

休み休み行ってね。」と、伝えた。

しかし、私が心配した事が的中した。


5日の夜中2時を回った頃、

「彦根付近でオーバーヒートしてしまい、動かなくなった。」

と、ヨウから電話が入った。

たまたまと言うか、幸運にもと言うか、その日旦那さんは飲み会でまだ帰っていなかった。


でも、私が彦根まで行く事は無理だったし、

そんな時間に開いている修理工場などある筈も無く、

ヨウは途方に暮れて最終手段で私に電話を架けたのだった。


私は直ぐに、立ち往生している近くのレンタカーショップを探し、

事情を説明した。

担当の人がとても親切な方で、直ぐにその場に向かってくれた。


トラックを借り、代わりにデ○カを引き上げ、

関係会社の修理工場に回してくれる事になった。


出張を無事追え、帰ってきてから、

一緒にレンタカーショップの方にお礼に行く事にした。


初めての遠出に、私はウキウキした。

2000年9月15日(当時は敬老の日でした。)


朝早くからお弁当を作って、私の車で彦根に向かう事にした。