義母が倒れるもっとずっと前。
まだ、旦那さんの妹が結婚前の事。
義母は衣料関係の内職で、生計を立てていた。
義父と離婚するもっと前から、腕の良い義母は結構稼いでいたらしい。
その頃はまだ景気も良かったので、私たちの住んでいる所では、
義母と同じ様に内職で生計を立てている人は多かった。
(今では、中国の安い工場への外注が殆どとなってしまいましたが。)
義母は離婚後、まだ高校生だった妹の親権を取り、育てていた。
そして、中村さん(男性)と言う人が借りている部屋で、
一緒に仕事をしていた。
(ミシンがあれば出来る仕事なので、小さなアパートの1室を借り、仕事をする人が殆どでした。)
中村氏が仕事を取って来て、外注さんと、義母に振り分ける。
義母は、事務関係の仕事も手伝っていた。
中村氏とは、義母が離婚を決める少し前から
一緒に仕事をするようになっていた。
子供さんは無く、奥さんとも離婚したと聞いていたので、内心私は
義母と再婚してくれれば安心なのに・・・・と、思ったりもしていた。
実際、中村氏は旦那さんの妹を可愛がってくれ、
妹の結婚式にも、親族側に座る程の仲だった。
(その割には、旦那さんとの交流を持ちたがらなかった。)
妹が嫁いでからも、私たち夫婦抜きで
妹夫婦とのの付き合いは深まっていた様だった。
私は、義母と付き合っているから、
長男である旦那さんに遠慮があるのだと、思っていた。
そんな或る日、中村氏が心筋梗塞で倒れ、病院に入院した。
入院の手続き、カテーテル検査の手続き、諸々の準備全てを、
義母は甲斐甲斐しく済ませていた。
夜の付き添いも何度もしていた。
ただ、仕事の方は滞った。
中の仕事は出来ても、義母は免許を持っておらず、
外回りが出来なかった。
その頃の旦那さんは、仕事の帰りが遅かったので、
私が1人、ライトバンを運転して、外回りをこなした。
勿論自分の仕事が終わってから・・・・。
それでも、私は出来る事は手伝ってあげたかった。
中村氏の回復は思いの外早く、8ヶ月程で仕事に復帰した。
私は、留守の間手伝った事に、対価を求めるつもりなど無かったが、
せめてひと言、有難う。。。ぐらいは、言ってくれると思っていた。
なのに、仕事に復帰しても、なしのつぶてで、
知らない内に、義母は中村氏との仕事を解消して、
自宅アパートで、他社の外注さんとして仕事を始めていた。
そんな事を全く知らなかった私は、知り合いから貰った沢山のたまねぎ(血圧を下げるのに、心臓には良いと思い。)を持って、
中村氏と、義母の仕事場へ向かった。(既に義母はいなかったが。)
いつもの様に、仕事場前の僅かなスペースに車を停めていると、
見知らぬ女の人が窓から顔を出し、私を睨んでいた。
新しい人でも入ったのかな?と、思い、
車のドアを開けながら、会釈すると、いきなり怒鳴り声を上げられた。
「あんた!小田さんとこの娘やな!!何しに来てん!
そんななとこに車停めんといてんか!」
睨んでいると言う表現では言い表せ無い程の、鬼の形相だった。
私は、訳が分からないまま、近所に響き渡る罵声を浴びせられた。