私には子供の頃、父がいなかった。
実際には、2歳位から小学校4年生位までの間、
父の顔を知らなかった。
家には写真もなかったし、短時間でも父が訪れる事は無かった。
それでも、父親と言う籍はあったから、
母子家庭の援助は受けていなかった。
(当時の母子家庭への援助がどの程度あったのか、
分からないけど・・・。)
父は家にはいなかったが、父親が存在している事は知っていた。
私が子供の頃過ごしていた土地は、商売の町で、商売人のおじさん、
おばさんに囲まれて育った。
勿論、良い人もいれば、そうでない人もいた。
「弥生ちゃんのお父ちゃんは、女の人と一緒に住んでるんやで。
会いたないか?」と、言う人もいた。
小さかった私は、
「そんなん、知ってるよ。別に会いたかったら、向こうから会いに来るん違う?
もし、来たら、おばちゃんに言いに行こか?」と、言ったらしい。
(私は覚えていないのだが、傍にいた兄が後々話してくれた。)
私の家は、祖父が八百屋をしていて、
母は、近くの運送店に働きに出ていた。
贅沢はさせて貰えなかったが、(その頃は、皆質素でしたし。)
ヒモジイ思いもした事はなかった。
ただ、母は勉強に厳しかった。
多分○○さん家の子は、お父さんがいないから勉強できないんよね。
と、言われるのが嫌だったのだろう。
必要以上に勉強を強いられた。
私は子供の頃から、本を読むのがとても好きで、
小学生低学年の頃には、十分大人の小説を読んでいた。
その頃の夢は、小説家になる事だったが、母は嫌がった。
(父が小説を書いていたからだろう)
それからもう少し大きくなった時、ベン・ケーシー(かなり古いTVドラマです。)を観て、医者になりたいと思った。
そしてもう少し大きくなった時、検事 霧島三郎(これもかなり古いです^^;)と言う小説を読んで、弁護士になりたいと思った。
しかし、母は、勉強を強いる割には、
そのどちらもあんまり賛成はしてくれなかった。
母は、ずっと薬剤師になりなさいと言い続けた。
大きくなって聞いたとき、母は、
「弥生は、性格がキツいから(本当に小さい頃から言われ続けました)、何か手に職は付けて欲しかったけど、医者や、弁護士になると、結婚出来ないと思ったからね。
薬剤師は、お医者さんを助ける位置(その頃はそう言う位置づけでした。)にいて、女の人に向いてると思ったんよ。
もし、ひとりになっても十分良いお給料を貰えるし・・・・・」と言った。
母は、自分が苦労して兄と私を育ててくれたので、
切実にそう思っていたのだろう。
小学生から中学に掛けての私は、本当に勉強が好きな子供だった。
母は、きっと私に夢を掛けていたのだろう。
そんな母の期待を裏切って、折角入った大学も中退し、
押し切って一緒になった旦那さんを、もう愛せずにいる。
向こうの世界で母は、今の私をどう見ているのだろう。
母が一番嫌った不倫もしている。
怒っているだろうな。ごめんね。お母ちゃん・・・。