ヨウと結ばれてから、また、次はいつ逢えるの?状態の2人だった。


片時も離れていたくない。と言う思いは一緒だったが、

仕事を持つ2人なのだから、そうもいかない。


それでも7月の残り6日間のうち、3日間を一緒に過ごした。

私は毎日、接待と言い続け、朝まで家を空けた。


熱病に浮かれた病人の様だっただろうと、今なら分かる。

でも、その渦中にいる時、周りは全く見えていなかった。


早くて2時、遅くて4時に家に帰った。

(遅いと言うより、朝早い言ううべきかも知れない^^;)


さすがに旦那さんに小言を言われたが、

聞く耳など到底持ち合わせていなかった。

あの頃の私は、確実にヨウの為だけに生きていた。

ヨウの為だけに予定を空け、ヨウの為だけに息をしていたと思う。


逢う度HOTELに行き、朝まで過ごした。

5年もの間、女でなかった私の体は、急激に潤いを増して行った。


このまま私たちは、どうなってしまうのだろう。

少し冷静な時は考えられた。

でも、また直ぐに忘れてしまう。


ヨウに逢えない日、家の食卓にいる旦那さん親子を見ると、

イライラした。

同居なのだから、いて当たり前の2人なのに、

何故私はこんな場所でご飯食べなくちゃいけないの?

一緒にいたい人は、ココにはいないのに。


突然、涙が溢れてトイレに駆け込んだりもした。


でもやはり、そんな無理な日々は長くは続かなかった。

当然HOTEL代も馬鹿にならない。

食事もいつもご馳走を食べに行っていたので、

直ぐに財布が軽くなってしまう。

2人の想いは重くなると言うのに・・・・。


そんな無謀な日が、8月の半ばまで続いたと思う。


ある日旦那さんに言われた。


「やーちゃん、最近、接待で出掛ける事多いけど、

ほんまに接待なんか?何で、そんなに遅いんや?」


私は直ぐに答えた。

「今、会社が大きくなる時期やから、仕方ないねん。

オーちゃんも知ってるように、病院の先生って、

夜遅くまで飲まはるやんか。」

(実際、旦那さんと飲んでいる時にでも、先生からの誘いの電話がよく架かっていました。)


「分かるけど、いい加減に切り上げんと、体壊すで。」

「うん。もう少ししたら、先生たちとのパイプが出来上がると思うねん。

そうなったら、接待も少なくなると思う。」


すらすらと嘘が付ける自分が恐ろしかった。

でも、守らなければ。ヨウとの関係は絶対に壊したくない。

と言う思いで一杯だった。


お盆を過ぎた頃、ヨウの仕事がかなり忙しくなり、地方への出張が多くなったのを機に、私たちのデートの回数も自然と減っていった。

(それでも、1週間に1度か2度のペースでしたが。)


そして、せめて2時には家に帰ろうと

暗黙の内に2人で決めたりもした。


旦那さんは、私を疑ってはいなかった。(と、思う。)

でも、義母は違った。

明らかに私に対する目が、私を疑っていた。

同じ女だから分かったのだろうか・・・・。

私の下着をチェックしたりもした。


その事を旦那さんにも言ったらしい。(旦那さんが私に打ち明けました。)


「最近の弥生ちゃんの下着、えらい高いのを買ってるみたい。

前のと趣味も変わってるし、何か可笑しいん違うか?」と。。。。


旦那さんは、それを聞いて私を庇ったそうだ。

何と言ったかまでは、教えてはくれなかったが。


私は自分のしている事を棚に上げ、憤慨した。


「何で、お義母さんにそんなん言われなあかんの?

私も頑張って働いてるから、こうやって暮らせてるんと違うん?

そんなに嫌やったら、妹のとこに行ったら良いやん!!」


旦那さんは、その私の言葉に謝った。

「ごめんな。おかんもそんな悪気はないと思うねん。

許したって。」


私はそれでも怒りを抑えられなかった。

「お義母さん、前にオーちゃんが何回も浮気して

私を苦しめた事、知ってる癖に。

私に何回も謝って、どうかオーちゃんの事見捨てんといたって。

弥生ちゃんだけが頼りやから。

私は、何があっても弥生ちゃんの味方やからって言ってたんやで!」


言いたい事を言ってはみたが、心の中は自分の醜さで潰れそうだった。


私は、結婚してからも義母が好きだった。

心から、お母さんと呼べた。


でも義母が倒れて、引き取ってから暫くして、ある事を境に

所詮義母なのだと思う様になった。


私にとっての義母は、もうお母さんではなく、

お義母さんでしかなくなっていた。