お葬式が終わって、私たちが家に着いたのは、午後7時過ぎだった。


玄関で義母にお清めをして貰い、自室に戻って喪服を脱いだ。


お葬式は淋しいものだった。

由美の友人は1人も来る事無く、(多分、K氏が知らせていないのだろう・・・。)由美の子供2人と、私たち親戚数十名、K氏の親戚数名、仕事関係の人2名(内1名がヨウ君)だけが参列者だった。


最後のお別れにお花を入れる事が出来た物の、遺体は全身包帯巻きで、顔を観る事は出来なかった。


子供たちの泣き喚いた声が、いつまでも私の中に残っていた。


「でも、何があっても子供を残して死ぬのは駄目だよ。

子供にとって、お母さんは無くてはならない存在なのに・・・」

と言ったヨウの言葉を、改めて真実だなと思った。


これから子供たちはどんな風に育って行くのだろう。

子供のいない私には、その成長過程を詳らかに浮かべる事は出来なかった。


それでもまた涙が零れた。


部屋着に着替え、リビングに行くと、旦那さんと義母が話していた。


「晩ご飯はどうする?」と、義母に聞かれたが、

「疲れてて、早くに眠りたいから、いらない。お風呂に入って寝るわ。」

と答え、リビングを後にした。


昨日洗えなかった髪を丹念に洗い、ゆっくりとバスタブに浸かった。

ロクシタンのバスハーブに癒されながら、暫くの間、ここ数日の慌しかった出来事を忘れようと目を閉じた。


と、突然

「そうだ!メール!!」と、声に出してしまった。


仕事用の携帯は休みの日には電源を切っているのだ。

バスタオルで長い髪をくるくると巻き、仕事用のバッグから電源の落ちた携帯を探し出した。


電源を入れ、メールの問い合わせをすると、数通のメールが届いた。


その内の1通がヨウからのメールだった。


お疲れ様^^との表題と、本文が書かれていた。


その頃の(2000年)メールは字数が限られており、パソコンメールの様に長い文章は打てなかったが、その限られた字数の全てを使い、ヨウはメールをくれていた。


私は、返信の文章を少し楽しみながら打っていたが、あまり慣れ慣れしくなら無い様にとも考えていた。


そうして送ったメールにほんの数分で返事が入った。


数回?いや、20回以上は続けてやり取りをしただろうか、

最後にヨウが

『疲れてるのにごめんね。またメールしても良い? 』と送って来た。


『うん。そろそろ眠らなくちゃいけないし。今日はこの辺でね。でもこの携帯は仕事用だから、明日仕事帰りにJフ○ンに行って、メール機能付きの携帯に変えてくるね。おやすみ(^_^)v』

と返信をして、電源を落とした。


直ぐにでも眠りたい位疲れていたが、ベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。

仕方なくパソコンの前に座った。


私は家に帰るといつもPCの電源を入れっぱなしにするので、すぐ様 Jフ○ンのH.P.を検索し、メール機能付きの携帯を探した。

これかな?と言う機種名を控え、メモをバッグに入れた。


その時に、仕事用の携帯は事務員の人もメールをチェックする事に気付いた。

ふつうのメールのやり取りなのに、何故か残しておきたいと言う思いを引きずりながら、そのメールの全てを消去した。

そうやって初めてのヨウとの記念のメールは消されるしかなかったのだ。

(いまでもそのメールを置いておきたかったと切実に思います。)


私は、明日は絶対プライベート用の携帯の機種変をしに行こうと思い、今度こそ眠ろうと目を閉じた。