昨日何気なく『余命』を観ている時を前後して、歌手の川村カオリさんが亡くなられた。

訃報を知ったのは昨日の夜中だった。

余命を観た後母の乳癌の事を思い出し、母の人生について思いを巡らしていた時には、彼女はもう旅立っていたのだ。


不思議な導きを感じずにはいられず、今日の忙しさを思いながらも再び眠る事が出来ずにいた。


クロ-ゼットの本棚から、伊集院 静 氏の『乳房』と言うタイトルの単行本を出して来た。

発表時の平成2年の頃、母は何十回目かの入院中だった。


母の付き添いをしながら読んだ記憶がある。

いつもは速読の私なのだが、昨日はあまり読み進められなかった。


気分が沈んでいる時に読む本ではないな・・・。と思い、十数頁読んだ所で本棚に戻した。


そのまま目を閉じて眠る努力をしたが、結局眠れたのか、眠れなかったのか、よく分からないまま朝になっていた。


朝の支度をしながら、いつものようにとくダネ!を観ていると、川村カオリさんの話が冒頭に流れ、片方の乳房を全摘された画像が目に飛び込んで来た。


その画像を観て、また母を思った。


母が最初の手術をしたのは、今から40年以上前の事。

当時は、乳癌の為の検査なんて無く(もしかしたら、有ったのかも知れませんが、一般的では有りませんでした。)、最初に見つけたのは幼稚園に上がったばかりの私だった。

母に甘えて、母の乳房を眠りながら触っていた。

何か硬い物を感じたときの手の感触と、その時のシーンを、不思議と今でも覚えている。


翌日、母は市民病院に検査に行った。


結果、乳癌だった。


最初は小さく切る手術で良いと言う事で、早々に母は手術に臨んだ。


しかし病理の結果、かなりステージ(当時はその様な言い方では有りませんでしたが・・・)が進んでいたらしく、2度目に大きく全摘手術を受けた。


その後の母の左胸は、本当に大きな傷跡が残った。

(不謹慎で、適切な表現ではありませんが、フランケンシュタインの顔の縫い目が、脇下からお腹近くまで続いている様な傷跡でした。)


私はその後、母と銭湯に行かなくなった。いや、行けなくなった。


1度幼稚園の友達(男の子)に

「お前のお母ちゃんのおっぱい気持悪い!!」と言われたからだった。


当時住んでいた地域は商人の町で、殆どの家がお商売の為、1階をお店にしていて、家にお風呂が無いのが普通だったので、銭湯に行くのは毎日の事だった。


手術後、まだ心の傷の癒えなかっただろう母に向かって、私は

「お母ちゃんと一緒お風呂に行きたくない」と、言った。


何て事を言ってしまったのかと、その言葉の酷さに気付いたのは、もっと大人になってからだった。

「本当にごめんね。お母ちゃん」心の中で手を合わせた。

そんな母との事を、改めて考えさせられた朝だった。




最後になりましたが、川村カオリさんのご冥福を心からお祈りします。