親の猛反対を押し切り、一緒になった2人だった。
お互い10代での決断ではあったが、全てを賭けて、信じ合って、夫婦になったと思っていたのは私だけだったのか。゚(T^T)゚。
一緒に暮らし始めるにあたって、生活用品なども親に頼らず、自分達だけで調達した。
私の友人たちはそれを見て、応援してくれた。
皆まだ学生だったのにカンパしてくれて、その頃でも20万以上のお金を私に持たせてくれた。
『お祝い返しとか、考えたらあかん。あんたの幸せをみんなで祈ってるからね。』
封筒にそう書かれた便箋が入っていた。
絶対に別れへん。幸せになる!!と心に誓ってから、たったの3年・・・・・。
2度目の霹靂は、彼の無断外泊と言う形で私に襲い掛かった。
今の様に、出先の人と簡単に連絡が取り合える様な時代ではなかったから、私は旦那さんの帰りをただひたすら家で待つしかなかった。
電話は鳴らない。
若しかして壊れてるのでは?と、何度も時報や天気予報の番号をダイヤル(その頃はダイヤル式が主流でした)して、繋がっている事を確かめた。
明け方始発が動き始めても、帰っては来なかった。
土曜日の夜の無断外泊。。。。
翌日は休みと言う事を計算しての行動だった。
後々分かった事だが、その相手はお店のバイトの高校生だった。
その無断外泊に至るまでの数ヶ月の間、火曜日と土曜日に無言電話が架かる事があった。
これも後で分かった事だが、その彼女のバイトの日だった。
高校生の彼女にしたら精一杯の抗議だったのだろう。
可愛そうな事をしたな・・・・って、今なら思える。
でも、その当時はまだ旦那さんの事を好きだったから、私は泣き喚き、バイト先のマスターにも打ち明け(元々私が先に働いていたので、話易かったのです。)、2人を別れさせた。
旦那さんも、
「弥生と別れるつもりはない。色々相談に乗ってるうちにフラっとしただけやから。魔がさしたんやと思う。ごめん。二度とせーへんから。」
と、泣いて詫びてくれたので、私はその涙を信じた。
二度と無い。そう信じた。
今なら、その頃の私に
この後何度も同じ事で苦しむよ。
今の内に別れた方が良いかも知れないよ。
って、教えてあげられたのにな^^
本当に私が知っているだけで、両手分の浮気がこの後も続いたのだ。
そして見付かる度に、旦那さんは言った。
「ごめん。もう二度とせーへん。これからの俺を信じてくれ。」と・・・・。