2000年4月ヨウと出会うまで、私は自分自身が旦那さん以外の人と付き合いをするなんて思ってもいなかった。


男友達は多かったし、飲み友達も多くいたが、私からは全く男女間の揺れを感じない付き合いの人ばかりだった。


飲み友達の中には、酔った勢いで口説いてくる人もいなくはなかった。

でも、不倫なんて!!と、ずっと思っていたし、私自身そんな器用な人間ではないと信じていた。


何より、結婚して何度も旦那さんの浮気(まだ不倫と言う言葉すら使われていなかった頃から)癖にほとほと悩まされ続けて来たから、伴侶以外の人を好きになって身を焦がす・・・なんて、私には別世界の事だと思っていた。


旦那さんと結婚したのは、私が19歳大学2回生、旦那さん18歳高校卒業したばかりの時だった。

付き合った期間は半年しかなく、本当に若さに任せた燃えるような恋だった。


今は亡き母も当時はまだ元気で、烈火の如く私たちの交際に反対した。


父が女の人を作って出て行っていた過去もあり、(私が中学の頃には戻って来ていました。)女は、手に職を付けて独りでも生きていける様にするべき・・・・と言う持論が母には有り、絶対に大学を出て薬剤師になりなさい!!と、子供の頃から私に言い続けている人だった。


兄にはあまりうるさくなかった母に、中学の頃に聞いた事があった。


「どうしてお兄ちゃんには勉強勉強って言わへんのに、私には言うん?」

「お兄ちゃんは、男やから、どんな事しても食べていける。けど、弥生は、性格がキツイから、独りでも生きていける様な仕事に就かんとあかん思う。」


私は反発しながらも、勉強が好きな子供だったので、いつしか母の進めるとおりの道を歩き始めていた。



奇跡的に現役で薬大に進んだものの、何故かその頃の私は暗かった。

周りの友人たちは皆、意気揚揚と大学に通っていたが、私の足はすこしづつ大学から遠ざかっていった。


そんな時、今の旦那さんに出会った。


それまでのボーイフレンドとは違うタイプの人だったからか、私は急流を滑り落ちる様な勢いで、旦那さんに惹かれていった。


母は、ありとあらゆる方法で、付き合いを阻止した。


その頃は携帯なんて有り難いグッズはなかったし、電話も子機なんてなかった。

茶の間に黒電話ひとつの時代だったから、架かってきても取り次いでは貰えない。

外に出る時も、出来る限りの監視を付けられていた。


そうした反対が逆に私を燃え上がらせるとも知らずに・・・・。


私は母を騙し、別れた振りをして暫くは大人しく大学に行く振りをした。


大学までは父が車で送ってくれる事になっていたので、大学に入って父の車が見えなくなってから直ぐに門外に出て、旦那さんの元に走る・・・。


そんな日々を過ごしていたが、やはり嘘はいつまでも続かなかった。


相手の親の所に、「娘と付き合わせないで欲しい」と母が談判に行き、私達の未来は閉ざされようとした。


年が明けて直ぐの1月頭、とうとう私達は実力行使しかないと決断し、2人で駆け落ちを決めた。