別にイベント「屋」では無いSMILEYyagiのBlog

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イベント屋のイメージがありますが・・・別にそれだけじゃない毎日綱渡りの江戸っ子社長ブログ!

最後まで頑張った母。

2月半ばに施設から病院に入院した夜いきなり死にかけてそこから

亡くなるまで頑張りました。

最後の10日間くらいは姉と交代交代で病院に。

療養病棟に移った夜いきなりまた「危ない」連絡。仕事中だったから

終わり次第と告げた。

終わり間際に姉から「何時頃になる?」と連絡入り、そこでもう間に合わないと

思ったら姉が「お母さん、あんた待ってるよ」と。何やら看護師さんと俺の話をしてたら

少しずつ数値が戻ってきたと。聞いたことがある話だが行ってみたら本当にそうだった。

担当医師が「きっと息子さんのこと話してるのが聞こえたんですよ。なのでちょっとで良いので来てあげてください」と。。。療養病棟なのにありがたい言葉だった。

そこから旅立つまで全体力を使い果たしてても行った。

話することもない。でも声を出すだけならと話した。

そしてあれだけ行ってたのに病院から電話をもらって急いだが間に合わなかった。

 

でも悔いは全くない。父親から合わせれば介護生活10年超え。

頑張った。

医師から言われたのは「お母さまは既に気力で生きてます。これ死んでもおかしくない数値ですので」と。もの凄い生命力を最後に叩きつけられた。

 

俺を溺愛していたお袋。

それには深い事情がある。

それはいつか話したくなったら話そうと思う。

 

東京は大森区、環七沿いの鰻のはせ川の裏で生まれそのまま育った生粋の

大田っ子。78歳で初めての1人暮らしが続かず息子帰る。

とにかく色々ありました。でも。

お袋、産んでくれてありがとう。

俺も長くないからまぁオヤジを見つけておくように。

 

あなたの息子で良かったです。

 

最後に俺だの大好きな歌を送ります。

 

https://youtu.be/2kxNB6e838M?si=eXawSGGMHNFoJElt

JOURNEY

 

我れ行く処に あては無く
人も岐れゆく 遥かな道
旅立つ身を送る時
帰り来る駅はなぜに見えない

大空を駆け抜けたまぼろしは
世の中を憂うように
何かを語るだろう

とうに忘れた幼き夢はどうなってもいい
あの人に守られて過ごした時代さ
遠い過去だと涙の跡がそう言っている
またひとつ夜が明けて
嗚呼 何処へと “Good-bye Journey"

雲行く間に 季節は過ぎ
いつか芽ばえしは 生命の影
母なる陽が沈む時
花を染めたのは雨の色かな

寂しくて口ずさむ歌がある
名も知らぬ歌だけど
希望に胸が鳴る

きっと誰かを愛した人はもう知っている
優しさに泣けるのはふとした未来さ
今日もせつなく秋の日差しが遠のいてゆく
さよならは永遠の旅
嗚呼 黄昏の “Good-bye Journey"

とうに忘れた幼き夢はどうなってもいい
あの人に守られて過ごした時代さ
遠い過去だと涙の跡がそう言っている
またひとつ夜が明けて
嗚呼 何処へと “Good-bye Journey

 

 

お袋、またね。

岐路に立たされ。さてどうするか。半年後には一切なくなると思っていたら即座にいくつか弊社にとってみればそれなりの額の案件が無くなった。。。
そんな時、弊社音楽事業部の方で九州に行く時だった。
もう何もかもが止まってしまったがこちらは止まる訳にはいかない。
自ら1人で九州へ機材車を走らせ運転しながら今後のことを考えた。
時間は行き帰りも合わせれば丸一日くらいある。

出した結論は社長自らの副業。。。コロナ禍の時から誘われていた困ってる会社に頼むしかないか。
おそらく今、日本で一番過酷な仕事だが…。
※こちらも追って話します。

ほぼ気持ちを固め、東京に戻り、副業先に連絡して決めて即スタート。
誰にも気づかれないようにしないと心配されるしマイナスも多い。

一方、代理店はと言うと自分たちの進退に追われる?考える?という態度が
如実にわかるようになり仕事も散漫。。。意味不明なことばかり。素人だけにポイント全然違うし。。。

確かに家族もいる人もいるだろうしお局もいるだろうし意味不明なアラフィフ独身も。。。
でもこっちに見透かされてることも知らずやってる感をだしそれがなんの意味もないことがわからないという始末。。。

大変なのはこっちも同じ。でもきちんとこなしてます。

あなたたちには最終兵器でどこかに飛ばされるだけというお給料は貰える装置が残ってます。
こっちはそれも無いのです。
半年間良くも丸投げしてくれたとは思いますがそんなことこれ以上愚痴っても生産性無いので。

とにかく酷いのです。

そして我慢の限界を超えて。。。言ってしまうのです…

つづく

表現が昭和だが。

母親が死に向かってるのを直面しながら

働く日々。

そんな中現代っ子はナゾだらけ。

このところ様々な業種の案件に携わってるが

とにかく続かない。

この半月で5人以上…

幸い雇用主ではないので直接的な打撃は無いが

間接的な打撃はある。

あの子たちは「働く、辞める」を繰り返すのだろう。

確かに昭和の考え方の「定年まで」と言う古い考えは自分もまるで無いがこの先日本が、いや地球がなくなるから適当に感がすごい。


自分自身、ガッツリ昭和の育ち。

抜けきれないこともあるが、

残りの人生長くは無いのでどっちが良いかはわからないが今は昭和で良かったと。

しかし辞め方も様々。

色々な意味で怖いから書けない。


今日も辞めた煽りが始まる。

母親が昨日の午後、死にそうと病院から電話。

でも仕事中で終わってからじゃないと行けない旨を伝える。


先に姉が行ってくれて看護師と話をしてると気持ち持ち直しだしたと。

そこで俺の話をしたらドンドン数値が戻ってきたと。

姉からの連絡で「何時頃になる?お母さん、あんたのこと待ってるんだよたぶん」と。

似たような話を聞いたことがある。

なんとか仕事終えそのまま病院に。

生きてた。

少し容態も落ち着いた感じ。

泊まっても良いと看護師さんが言ってくれたが近いしやることはやってるし悔いも無いので一旦帰るのでよろしくお願いします。と。

なんかあればすぐに連絡すると言うことであまり寝つけず朝に。

連絡は無い。


ならば俺はやることは一つ。

働くしかない。


生きたいと頑張ってるならどんな状態でも良いから生きてくれ!

そばに居なくてもいるよ。


頑張れお袋。

タイトルの続きです。

 

取引先本社にまた行くことになり出向くと、昔からお付き合いのあるOさんが同席。

自分は即、「先日、話終わりましたよね?」と切り出すと。

 

Oさん(横に現状の担当が2人居るのに)から、「やぎさん、口座の件は大丈夫です。

先日のA社さんに請求してください。で。今日お越し頂いたのは…」と

 

一瞬、沈黙

 

「我々の事業部が来年の3月末で閉鎖することになりました。ついては今後のことを各取引先に伝えていきますがもちろんやぎさんのことをそのまま使ってもらいたいと伝えます。でこのことはまだリリースしてないのでオフレコで」と…。

 

使ってもらえる…そんなことあり得ないので断るがその前に「閉鎖」って聞こえが良いけど来年の3月?これって閉鎖は聞こえが良いけど「計画倒産」※事業部の

と変わらないんじゃない????

※※結果、リリース無しオフィシャルサイトにも無し

 

結構な大企業のグループ…。

 

本当にたくさんお世話になったしここの名刺を持っての時期も2年くらい。。。

 

計画倒産だろうが閉鎖だろうがもはや聞いた瞬間に終わったとしか思えず帰路に。

 

ここから衝撃的なことが続くのだが翌月から即座に案件が無くなりだした。

そんなこと、予想していたのであの日の帰路から即自分は動いた。

※動いたことはまた追って話します。

 

通達されてちょっとしてから取引先のOBとかグループの方から連絡がドンドン入る。

「どう?大丈夫?」と。

自分は「なんかリリースしてないからリリースするまで言わないで」って言われたんだよ。※ここ辺りの関係式はもはや仲間なで口調はこんな感じなんです

 

大丈夫じゃないです。アメリカじゃないけどほぼ「1業種1社」制みたいになってしまってたし、何せ「ひとり社長」だから広げるにも限界があったので…。

 

こうして口座が云々より人生の岐路に立たされるのです。

 

つづく