11月4日0時35分に愛するリディアンヌが虹の橋に向かって旅立ちました。


具合が悪くなったのが10月19日。便が出なくなり様子見。23日に病院へ連れて行きました。注射と点滴を受けて。血液検査の結果、延命は可能だけれど、無理に延命はやめました。私がいない時、大きなストレスを感じる子だったので。

それからの日々、どんどん食べなくなり、水も自分では飲まなくなり、水も受けつけなくなりました。衰弱していくリディを見ているのが辛かった。

でも、外出が嫌いで病院で預かってもらう事はやめました。仕事以外はすぐ帰宅しずっと付き添いました。

11月2日から4日はStudio Life 「はみだしっ子」大阪公演の為、5日間の連休を取っていました。観劇に行く時は「できるだけ早く帰るから、帰ってくるまで待っていてね」と声をかけて。

3日は2回公演だったので、覚悟をして出かけました。帰って来ると衰弱してもう歩く事はできないはずのリディが玄関の私の靴を抱いて倒れていました。迎えに来てくれていたんです。そして「おかえり」と言うように絞り出すようにニャーと最後の一声を。

涙が止まらなかったです。多分…と感じた私はリディを抱いて寄り添いました。リディが眠りにつくまでずっと撫でながら話しかけて。

4日を迎えたとき、リディはずっと私を見つめ続けていました。何度も「ごめんね」と「大好きだよ」と囁きました。最後の時は心臓が止まる直前に苦しい痙攣があるものと覚悟をしていたのですが、リディは最後に一声鳴いて、3度大きな息をしただけでわたしを見つめたまま静かに息を引き取りました。しばらくして、リディに感謝の言葉をかけ目を閉じさせると、ニッコリ笑顔でした。そのまま一晩一緒に眠りました。朝になるとリディから温もりがなくなっていました。

リディの身体を綺麗に拭き、いつも使っていたタオルにくるみ、母とマサとアムの写真で囲み、好きなおやつやフードなどを備えて、「もう苦しまなくていいね。みんなが迎えに来てくれるからね」と声をかけ、千秋楽に行きました。この日、マックスと亡き河内さんの誕生日でもあり、リディが忘れないようにとこの日に逝ったのかと思いました。そしてちょうど連休を取っていて一緒にいられる時間や見送る時間が取れた時だった事。リディが、わたしを想っての事だったのか。

もうどこに行くのも一緒に行けるねリディ。

亡くなって数日、リディの気配を強く感じました。起きる時間直前、枕元でニャーと声がしたり、夜中に水を飲む音やトイレシートを掻く音や椅子からトンと降りる音が聞こえていました。今はもう聞こえなくなったので、無事虹の橋を渡って行ったのだと思います。

寒くなって、わたしの膝やお腹をベッド代わりにしていた重みをもう感じる事ができないんだなと思うとこの冬はとても寒く感じそうです。

リディは幸せだっただろうか。後悔ばかりですが、きっと相思相愛の私たちだったとは思います。リディを可愛がってくださった皆さんありがとうございました。


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