人間なんていつどうなるか分からない。
だから僕は現時点での想いを遺したいと思う。
なんで僕が防潮堤問題にしつこいか?
それは震災時、家や自分があたりまえのように育った街並み、水道、電気、ガスなんかが奪われて分かったこと。
現代社会のあたりまえが奪われた時、僕たちに必要だったのは、
自然の恵みと、
その恵みを掴み取る知恵と、
その知恵を共有できる仲間だった。
川は真水を提供してくれた。
山は山菜を、海は魚介類を提供してくれた。
僕たちの地域はすべてが豊かで、人間が生き延びるのに充分だった。
そして人間として何より大切なのが、その恩恵を掴み取る知恵だ。
その知恵は小さい頃から自然の中で身につける。
時には親父や爺さんに教わる。
そんな知恵が我らの故郷でも現代社会のしくみの中で消えようとしている。
僕はよく爺さんや親父に昔の故郷の川や海、山で遊んだ話を聞いた。
でも僕がその場所へ遊びに行くと、もうその環境は無かった。
川はコンクリート護岸で固められ、生き物も少なくなり、海も防潮堤というコンクリートで浜辺の大半が消失していた。
なぜか?
それはチリ地震津波があった際に建造されたものだった。
当時は防潮堤の背後地に街を再建したので、やむ終えない状況だった。
でもさみしかった。
本来あったはずの故郷がなくなり、その場所を思い出しながら語る爺さんや親父に、
そして故郷に少しづつ距離感を感じていた。
本来の故郷の浜辺や川、森はどんな環境だったんだろう。
そう考える度に共有する話はなくなった。
その場所が無くなったってことは、その場所で遊び、学べたはずの知恵を失ったということ。
そしてそれを共有できる仲間を失ったということだ。
昔から続く親から子への知恵の受け渡しと、共感出来るコミュニケーションを失ったということだ。
全国に言えることだが、
それが失われたから子と親の信頼関係が成り立たなくなって来ているように感じる。
本来人間は、土の上で暮らし、自然に抱かれながら生きてきた。
昔からそうだったように、これからさらに、そのあたりまえを踏まえた社会を作らなければならない。いや、作っていかなければ人間に未来はないと思う。
今回の震災で僕は家を失った。
しかしその分、人工物は破壊され、海は本来の自然を取り戻しに来たように感じた。
現に震災後、海は震災前にも勝る生き物たちで溢れかえった。
今その場所に巨大防潮堤と巨大河川堤防が建設されようとしている。
街の4割がコンクリートになる。
チリ地震津波の時のように背後地に住居は作らない。
みんな高台に移転する。
なぜ?
これ以上故郷を失いたくない。
子どもや孫に受け渡して行く場所や知恵、自然からの恵みを失いたくない。
必ずいつの日にか、その本来の大切なことを取り戻しにいかなければならない時が来る。
次世代を路頭に迷わせたくない。
人間として置き忘れて来た最大の忘れ物を今しっかり伝えて届けたい。
その宿題を今のうちに少しでもやらねばならない。
僕たちがいなくなっても豊かな故郷であってほしい。
その本来の豊かさを大事にする人間としての生き方を全うしてほしい。
その願いの先に今回、県の一方的な巨大防潮堤計画が立ちはだかった。
子どもや孫へ希望の世界を。
希望の種を蒔き続けよう!
だから僕は現時点での想いを遺したいと思う。
なんで僕が防潮堤問題にしつこいか?
それは震災時、家や自分があたりまえのように育った街並み、水道、電気、ガスなんかが奪われて分かったこと。
現代社会のあたりまえが奪われた時、僕たちに必要だったのは、
自然の恵みと、
その恵みを掴み取る知恵と、
その知恵を共有できる仲間だった。
川は真水を提供してくれた。
山は山菜を、海は魚介類を提供してくれた。
僕たちの地域はすべてが豊かで、人間が生き延びるのに充分だった。
そして人間として何より大切なのが、その恩恵を掴み取る知恵だ。
その知恵は小さい頃から自然の中で身につける。
時には親父や爺さんに教わる。
そんな知恵が我らの故郷でも現代社会のしくみの中で消えようとしている。
僕はよく爺さんや親父に昔の故郷の川や海、山で遊んだ話を聞いた。
でも僕がその場所へ遊びに行くと、もうその環境は無かった。
川はコンクリート護岸で固められ、生き物も少なくなり、海も防潮堤というコンクリートで浜辺の大半が消失していた。
なぜか?
それはチリ地震津波があった際に建造されたものだった。
当時は防潮堤の背後地に街を再建したので、やむ終えない状況だった。
でもさみしかった。
本来あったはずの故郷がなくなり、その場所を思い出しながら語る爺さんや親父に、
そして故郷に少しづつ距離感を感じていた。
本来の故郷の浜辺や川、森はどんな環境だったんだろう。
そう考える度に共有する話はなくなった。
その場所が無くなったってことは、その場所で遊び、学べたはずの知恵を失ったということ。
そしてそれを共有できる仲間を失ったということだ。
昔から続く親から子への知恵の受け渡しと、共感出来るコミュニケーションを失ったということだ。
全国に言えることだが、
それが失われたから子と親の信頼関係が成り立たなくなって来ているように感じる。
本来人間は、土の上で暮らし、自然に抱かれながら生きてきた。
昔からそうだったように、これからさらに、そのあたりまえを踏まえた社会を作らなければならない。いや、作っていかなければ人間に未来はないと思う。
今回の震災で僕は家を失った。
しかしその分、人工物は破壊され、海は本来の自然を取り戻しに来たように感じた。
現に震災後、海は震災前にも勝る生き物たちで溢れかえった。
今その場所に巨大防潮堤と巨大河川堤防が建設されようとしている。
街の4割がコンクリートになる。
チリ地震津波の時のように背後地に住居は作らない。
みんな高台に移転する。
なぜ?
これ以上故郷を失いたくない。
子どもや孫に受け渡して行く場所や知恵、自然からの恵みを失いたくない。
必ずいつの日にか、その本来の大切なことを取り戻しにいかなければならない時が来る。
次世代を路頭に迷わせたくない。
人間として置き忘れて来た最大の忘れ物を今しっかり伝えて届けたい。
その宿題を今のうちに少しでもやらねばならない。
僕たちがいなくなっても豊かな故郷であってほしい。
その本来の豊かさを大事にする人間としての生き方を全うしてほしい。
その願いの先に今回、県の一方的な巨大防潮堤計画が立ちはだかった。
子どもや孫へ希望の世界を。
希望の種を蒔き続けよう!