夫と4歳の娘と東京都・日野市に暮らしている36歳、ワーママです。家業を継いで3代目社長をする傍ら、個人でアート制作やセッションを行っています。日記のように綴ります。
昨年の夏、国内コロナ感染者過去最多の時、
色々とご縁があって、決断して
オーストリアのウィーンに行ったんです。
せっかくだから、
オーストリアの画家で有名な
エゴン・シーレ、グスタフ・クリムト
の絵を見たいと思って行きました。
で、クリムトの絵を前にした時に、
ポロポロ泣けたんです。
オーストリア ベルベデーレ宮殿内
クリムト「接吻」
その瞬間、私は
絵を見に行ったんじゃない
自分に会いに行ったんだ
と思いました。
クリムトは大好きというわけでなくて
オーストリアも前からすごく興味があった
というわけでもなく、
自然の流れでご縁があって、
海外旅行に行きたい!
せっかくだから美術館と行きたい!
という思いで行ったウィーンだったんです。
その心は、
とにかく、今の場所を離れて、
日本を離れて、自分に向き合いたかったから。
過去2年、もろにコロナ禍で
大好きな旅行も行けず、
ひたすら慣れない会社のことをやってきて
ストレス満載の中、子育てもして…
色々と心が荒んでたんですよね。
軽く鬱になりかけた時期もあったし、
情緒不安定になったりしました。
だからこそ、
今行かないとヤバい!!=自分を見失う
そんな感覚があって。
えいっと決めて、旅立ったんです。
結果的に、その先で出会ったのは
あまりにも神々しい、クリムトの「接吻」
の作品でした。
それを見た時に、
「ああ、私は、
私であることを、思い出したかったんだ」
と感じたんです。
なぜそう思ったのか?
やはり、世界的に有名な作品というのは、
ものすごい熱量を持って生まれてくる作品なんですよね。
世界中の沢山の人に見られて、
パワーを持っている作品だと思うんです。
そんな「本気」の作品を前にした時に、
やはり、「自分」とは?
って、向き合わざるを得ないと思うんです。
感性の強い人は特に。
多分、「本物の作品」って、
「真剣な人」と対峙するようなもので、
鏡のように、自分の在り方を問われる瞬間って
あると思うんです。
私は、クリムトの作品に
ある意味、心を丸裸にされたんですよね。
ちなみに、どちらかというと、私は
クリムトよりシーレの作品が好きでした。
なのに、今回強く心に惹かれたのは
クリムトでした。
その背景というのも、読み解いていくと
心境の変化や自分の感覚や
価値観の変化があるんですよね。
その時、その瞬間気になる作品というのは、
自分の心の鏡みたいなもの、だと思うのです。
自分に会えなくなったら、
絵に会いにいけばいい
そう思いました。
思い返すと、私のこれまでの人生で、
要所要所で、私を支えてくれたのはアートでした。
皆さんは、
心が震えるような作品に出会ったことは
ありますか?
イシカワマエガミ