夫と4歳の娘と東京都・日野市に暮らしている36歳、ワーママです。家業を継いで3代目社長をする傍ら、個人でアート制作やセッションを行っています。日記のように綴ります。
昨日は、夫と娘が夫の実家に行って不在で
久しぶりにまとまった時間があったので
是枝監督の映画「怪物」
を見てきました。
映画、けして多くみる方ではありませんが、
そんな中でも
是枝監督の作品、好きなんです。
絶対的な正義や悪という存在がなくて
「答えや見方は、人の数だけある」
ということを、感じさせてくれるから。
自分の意見は、必ずしも正しいわけでも、
正義なわけでもない
だけれども、
自分の意見を話すこと
伝え続けることは必要だと
そういうことを、
リアルに感じさせられるんですよね。
今回の作品も、心にグサグサきました…
特に、今回私が一番印象的だったのは
「誰にでも手に入るものを
幸せっていうんだよ」
という、校長先生の言葉。
(この校長先生の立場も、苦しいんだわ…)
「誰にでも手に入るもの」ってなんだろう。
やっぱり、それは、
今、生きていること。
かな。
悩めることも、悔しいことも、悲しいことも
全て、「生きているから」できることだから。
亡くなった人には、
それは手に入らないものだから。
夜はAmazonプライムで話題の
「チェンソーマン」シーズン1を
一気に見ました!
(ずっと見たかったんですよね…)
劣悪な環境で育った主人公デンジにとって
食パンにバターやジャムをつけて食べることは
「幸せ」だという。
誰かにとっては普通のことでも、
誰かにとっては特別・羨ましがられることって
結構ある。
…というか、世の中は、
そんなことばかりで出来ている。
でも、惑わされてはいけない。
まわりがどうとかではなく、
自分にとっての「幸せ」って何か?
「まわり」じゃないよ、
「自分」にとってのことだよ。
「怪物」やチェンソーマンを通じて
「幸せ」ってなんだろう
考えさせられるのです。
今、生きていること。
食べるものがあること。
(そして、食べるものが
自分にとって贅沢だと思うものであれば、
幸せだと、感じやすい。)
改めて「幸せ」って、
ごく、ほんの一部の限られた人だけが
得られるものではないと私は思う。
収入が多い
容姿に恵まれている
運動能力がある
才能がある
大手キャリアの会社に就く
海外旅行に好きに行く
大きな家に住む
高級車を持つ
高価な服やジュエリーを持つ
ましてや
パートナーがいるとか
子どもがいるとか
そういうことが
「幸せ」を定義付けられるものではない。
上記の要素を持っていても、
「自分は不幸」だと思っている人は沢山いるし。
もちろん、収入が多いことは、
資本主義社会においては重要視されているし
経済力があることで、選択肢が広がることは
「幸せ」に近づけるかもしれない。
でも、尺度はそれだけではないのだ。
「幸せ」の形は、人それぞれ。
すぐそばに、身近にあることなのだ。
そして、それを毎日、毎日
自分が、沢山感じられていれば、
「幸せ」なのだ。
幸せを「感じられていれば」
それは、幸せ、なのだ。
逆にいうと、
多くを持っていても、幸せだと
「思えなければ」「感じられなければ」
今、自分が幸せなことに、気が付かない。
問題なのは、この豊かな日本で、
それを感じられなくなっている人が、
多くいる、ということなのかもしれない。
私にとっての幸せは、
自分の身体も家族も健康で
仕事があって
家族が笑っていること。
友人やまわりの人が笑っていること。
それが、ものすごく、幸せなことなんだと
満月の今日、改めて思うのです。
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